伊東にて。
「木下杢太郎記念館」なる施設を訪ねました。
なんでも、伊東出身だそうで。
なまこ壁でできた記念館の奥に、生家が当時のままの状態で保存されていました*1。
木下杢太郎といっても、自分的には「…『パンの会』の人だったっけ?」ぐらいの知識しかありませんでした。
国文科出身者として恥ずかしい限り。
彼は、詩や文学だけでなく、絵を描かせても一流、さらに皮膚科医として東京帝国大学で教鞭を取る傍ら研究を続けていた、という、チョーマルチ人間でした。
日本人に比較的多く見られる「太田母斑」と呼ばれる顔にできるあざは彼が発見したものだそうです*2。
…全然知りませんでした。医学者としてもそんなスゴい人だったのか。
日本人はえてして「その道一筋」的なものを尊いとする傾向がありますが。
私は彼のように多方面でその才を発揮した人はもっと素晴らしいと思います。
1つのことを極めることすらなかなか難しいのに、複数のことを極めているわけですから。
願わくば。
自分も「日本史」以外にも何かこう、実になるものを極めていけたらなあ…。
そう思って湯につかるサタデーナイトでした。
★★ちなみに、杢太郎の姉の1人は樋口一葉の友人とか。人気blogランキング★★