秋の夜長に…。

ふと哲学的なことを考えこんでしまいました。


以前のエントリでもチラリと触れたことあるのですが*1
自分は、「この世に生を受けたということは、何かを為し、何かを残すために、天によって為されたものである」「つまり、自分は、何かを為し、何かを残すために生まれてきたのだ」という考えを持っています。
最近、レポートで幕末史について研究していたからでしょうか、その思いは日々強くなっています。


ところが。
最近、時として焦燥感に襲われることがあるのです。
「自分は何をやっているのだ。自分はまだまだ何も為していない。このままでいいのか? 自分の持てるものを全然発揮していないではないのか自分?」という思いです。
もしかしたら「自分自身に対する過大評価」なのかもしれませんが、「何も為していない」という焦りが自分を押しつぶしそうになることは少なくありません。


普段自分が所属しているソサエティーにおいては。
自分は、それなりに必要とされ、そこそこそれに応えているという自負と手ごたえも感じています。
であるにもかかわらずのこの焦燥感…なのです。


では、「自分は何を為すべき」なのでしょうか?
お恥ずかしい限りですが、その問いに対する明確な回答も、自分の中では見つけることができていない状態です。
仕事をキチンとこなし、家庭人としての責務を果たし、学業を成し遂げること…これ以上の答が見つけられないのです。
いや…もしかしたら、これが「模範解答」でいいのかもしれませんが。


この期に及んで。
少年のように、自分の未来に惑うなど、考えも及びませんでした。
まだまだ、人間として未熟…ということなのかもしれません。


何かにおいて。
成果を残し、名を残すこと。
その何かが何であるかは、まだ漠然としているのだけれど…。


人間は、前進する歩みを止めたときに後退が始まる生き物なのだ―と思います。
前進には終わりはありません。「ここまで来られたからいいや」って性格のものでもないですし。
今日より明日、明日より明後日、1歩ずつでもいいから、さらにさらに前へと。歩みを止めたとき、現状に安住して向上していくことを忘れたとき、そのときこそが「後退への第1歩」なのかもしれないって気がなんとなくしています*2


「前に進まなきゃ」という強迫観念に追われているような気はありませんが。
「何かを為さなきゃ」「何かを残さなきゃ」という焦りには、時々苦しめられます。


ただ。
できることならば、その焦燥感を、プラスの方向に昇華させていって。
よりよい自分自身の成果と為していくことができれば。
疲れた体に鞭打って、少しでも多くの何かを残していくことができれば。


秋の夜長に。
ついつい、自分自身の「生きた証」が欲しくて、袋小路にハマってしまいそうだったので。
自分の気持ちをうまく交通整理つけて、いい方向にもっていくために、このエントリをツールとして活用させていただいた次第です。


よそ様に公開する性格のものでもないかな…とも思ったのですが。
こんな駄文でも、他の誰かの役に立つことができたら(たとえそれが「反面教師として」でもかまわないので)と思い、アップロードさせていただいた次第なのです。


★★こんな真面目な文章、ガラにもないなあ。明日からはお気楽にいきますよ。人気blogランキング★★

*1:こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20080710#p1)をご参照のこと。

*2:もっとも「前進のための休憩」というのは大いにアリだと思います。