泣いて血を吐くホトトギス

ふぅ、なんとか6月5日のうちに出掛けた先から戻ってくることができました。このネタは今日この日に書いておかないと1年後まで寝かせておかなくてはならなかったネタなので、愛車すっ飛ばして帰ってきましたよ。
で、「今日書かなきゃいけないお題」とは何ぞや、というと…この「6月5日」という日付の真下に載せておいた「池田屋事件」についてです。


映画やドラマで新撰組*1モノが題材になるとき、名場面の1つとしてこの池田屋事件の様子がしばしば映像となります。昨年のNHK大河ドラマ新選組!』なんか、現実の2階建ての池田屋をそのままセットで再現して大いに臨場感をかもし出していました。
その池田屋事件の顛末のなかでも最大のクライマックスといえば「沖田総司喀血」の場面です。志士たちと斬り合い、剣を振るう最中に、この若き剣士の表情がゆがみ、咳き込みながら崩れ落ちていく、手には大量の鮮血が…ってヤツです。昨年の大河での藤原竜也くんの好演技も記憶に新しいところです。
その総司の喀血についてなんですが…。


すんません。全否定します。


最近の研究では、
池田屋事件の際に沖田総司の喀血はなかった」
という説が有力になっています。


その理由は、至極簡単。
「当時の結核罹患者の予後を考えたとき、池田屋で血を吐いた沖田総司が、その後4年間も生き続けるはずがない」からです。
当時、喀血まで至った結核患者は、どんなに長くても1年程度で世を去るのが常のようでした。
それを考えたとき、池田屋沖田総司が喀血したとはどう見ても思えない、とのことです。


無論「池田屋で戦っている最中に沖田総司が倒れて戦闘不能になった」という事実と、「沖田総司は肺結核が原因でこの世を去った」という事実は、2つとも真実のようです。
ただ、この2つを結びつけようとすると、無理が生じてしまうというわけなのです。


最初に「池田屋沖田総司が喀血した」という記述がなされたのは、昭和3年に刊行された、子母澤寛の『新選組始末記』です。そのなかで子母澤は「…名人の沖田が、戦の半(なかば)に、持病の肺が悪くなってきてひどい喀血をして昏倒した」と書き残しています。
ところが! この子母澤の著した、いわゆる「新選組三部作」*2には、子母澤の虚構も少なくない、らしいのです。後に子母澤自身がカミングアウトしているので間違いないと思います。
で、この「沖田喀血!」も、最近の研究では、前述の理由から「子母澤の虚構の1つである」という説が有力になっています。


最近の研究では、沖田総司結核にかかったのは、「当時の結核患者の予後の平均」や「その年の春先頃から沖田総司新撰組隊士としての活動がパタリと止まっている」ことから、「慶応3年(1867年)の夏頃ではないか」とされています。
最近若い女性の間で人気になっている、新撰組を題材とした少女漫画『風光る』でも、作者の渡辺多恵子さんは沖田総司池田屋での喀血を採用していません。
一方、昨年の大河ドラマ新選組!』では…さすがにTVドラマではこの「名場面」を外すことはできなかったのでしょうか、前述の通り、派手に吐きました。CGまで使って(笑)。


それでは。
沖田総司池田屋で昏倒した本当の原因って、何だったのでしょうか?


定かではありませんが。
「暑気当たりだった」というのが真相みたいです。
なるほど、これじゃ絵にはなりませんね(笑)。


実は私も、昔健康診断で「結核の疑い」を言われたことあります。結果的にはシロだったけど。人気blogランキング

*1:新選組」と「新撰組」、どちらが正しいのか…というのはよく聴かれることですが、結論から言うと「どちらの表記も使われていた」みたいです。というのは、幕末期って「音さえ合っていれば漢字表記にはさほどこだわらない」という傾向があったみたいでして。というわけで「どっちでも可」ということで。ちなみに、CasparBartholinは、なんとなくではありますが、長年使っている「新撰組」のほうを採用しています。ただし、著作品名の『新選組始末記』や、大河ドラマ新選組!』などについては、固有名詞なのでそのままの表記ということにしています。

*2:新選組始末記』『新選組遺聞』『新選組物語』のこと。