日本史

陵墓マニアよとこしえに

…というわけで。 最後の更新から2年経ちました。 その間、修士論文執筆前の現地調査を兼ねたりして、方々訪ねました。 以前からエントリで紹介させていただいてる「実際に自分の足で訪ねたことがある陵墓」(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/2011020…

「鬼千匹」ではなかったと思うのですが…。

というわけで。 昨日予告した、難波小野王についてのネタです。 …とはいっても。 そんなに艶っぽい話ではないんですよ(笑)。 難波小野王は。 昨日のエントリでも紹介したように、顕宗天皇の皇后だった女性です。 出自については、『日本書紀』では「磐城皇…

病床で胸躍った。

寒くて眠れないので。 やむを得ず、携帯でいろんなサイト巡回していて。 こんなニュースに突き当りました。 「応神天皇陵:学者らが立ち入り調査…大阪・羽曳野」(http://mainichi.jp/select/today/news/20110224k0000e040059000c.html) 宮内庁が指定・管理…

ビバ陵墓マニア

「5訂版」から若干の上積みしかしてないんですけど。 以前のエントリで紹介させていただいた「実際に自分の足で訪ねたことがある陵墓」(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101126#p1)の「6訂版」をリリースさせていただければと思います。 以下は…

歩いていこう

今回の現地調査の話です。 まずは京阪で祇園四条駅から伏見桃山駅に向かい、「夏の積み残し」である桓武天皇陵と明治天皇陵、昭憲皇太后陵を見学しました。 京阪でも近鉄でも移動しやすい伏見桃山周辺は、ターゲットとしては手ごろでした。 大光明寺陵*1から…

決定打?

「牽牛子塚古墳は斉明天皇陵か、実証の小古墳発見」(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20101209-OYT1T00770.htm) 女帝・斉明天皇(594〜661年)の墓と確実視されている奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)の…

輝け陵墓マニア

さて。 まだまだ現地調査のレポートは「完全出し」には程遠い状態ですが。 今回の現地調査でさらに見学した陵墓の上積みに成功した状態ですので。 以前のエントリで紹介させていただいた「実際に自分の足で訪ねたことがある陵墓」(http://d.hatena.ne.jp/Ca…

短くも美しく燃え

…夜中近くに帰宅して。 今日は普通に仕事しました。 我ながら、けっこうタフ。 今回の現地調査では。 橿原市、御所市の陵墓を中心に訪問しました。 昨日のエントリで既報のとおり、神武天皇陵初訪問。 この陵墓は、いわゆる「文久の山陵修復」以来、“始祖陵”…

ずっと書きたかったこと。

本日の表題は「大正天皇即位大礼、京都御所で挙行(大正4年・1915年)」ですが。 昨年の今日11月10日の表題もまた「昭和天皇即位大礼、京都御所で挙行(昭和3年・1928年)」でした。 同日だったのですね。 偶然だったのか、意識的だったのか。 よくよく思…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(16)

つづきです。 前回のエントリは、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101020#p1)。 引き続き、欽明天皇檜隈坂合陵についてです。 「欽明天皇陵は、現治定陵の平田梅山古墳で間違いないのだ」という反論の論拠として。 谷森善臣が『山陵考』の…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(15)

つづきです。 前回のエントリは、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101010#p1)。 番外編は、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101011#p1)。 「国営飛鳥歴史公園館」を後にして。 次なる目的地は。 ほぼ2〜3分程度のほど…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(番外編)

今回はちょっと番外編です。 天武・持統合葬陵のほど近くに。 「国営飛鳥歴史公園館」なる施設があったので、立ち寄ることにしました。 車を停めることができるし、なによりあの高松塚古墳まで歩いていくことができる距離だったのが最大の魅力でした。 ↓こん…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(14)

つづきです。 前回のエントリは、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20101005#p1)。 今回から。 現地調査2日目、7月23日のお話になります。 この日も暑い暑い1日でした。 この日は。 1日かけて、奈良県の陵墓を調査する予定でした。 奈良…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(13)

つづきです。 深草北陵を後にして。 JR奈良線の踏切を渡り、竹田街道まで出た後に、ひたすら南下。 進んでいくうちに、右手に御香宮が見えてきました。 新撰組マニアでもある自分、「おお! これが鳥羽伏見の戦いでおなじみの御香宮!」と感動。 「御香宮…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(12)

つづきです。 仁明天皇陵を後にして。 名神高速道路をまたいで北側の、行き違いも困難な住宅街の中の細い道をうねうね進むうちに。 ものの5分ほどで、次の目的地、伏見区深草坊町に到着しました。 俗に「深草十二帝陵」といわれる。 法華堂形式の深草北陵で…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(11)

…どうも間が開いてしまっていけませんね。 このままだと、もう涼しくなり始めているというのに猛暑の中の現地調査のことを語るようになってしまいそうです。 まあ、日本ハムの戦いが毎日熾烈なのに免じてカンベンしてください。 泉涌寺を後にして。 東山通り…

遂にこういう日が来た…。

「牽牛子塚古墳:斉明天皇陵と特定 八角構造が判明/奈良」(http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100910k0000m040050000c.html) 奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)で、墳丘を八角形に囲む凝灰岩の石敷きが発掘され、八角形…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(10)

すぐつづきいきます。 月輪陵を後にした後。 泉涌寺の別院である雲龍院を訪ねました。 雲龍院は、山号を瑠璃山といい、応安5年(北朝、南朝:文中元年)(1372年)後光厳上皇の勅願により竹巌聖皐(ちくがんしょうこう)を開山として建立されました。 竹巌…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(9)

…ここからは、7月22日〜24日に訪れた陵墓のレポートになります。 牧之原SAで3時間半仮眠を取ったわりには、順調すぎるぐらい順調に道中は進み。 8時半には大津ICに到着、9時前には京都の市街地を走っていました。 「東山五条」の交差点名を見つけた…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(8)

…さて。 5月に実施した現地調査のレポートは、今回の分で最後です。 長かった…。 嵯峨天皇陵のモーレツな山登りでダメージを受け。 さらに、拭いても拭いても流れ出てくる汗を拭おうと思ったら…どこかでハンカチを落としてしまったらしく、ショボーンとして…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(7)

…なんかこう、超大作になってしまった、嵯峨天皇編のつづきです。 前回のエントリはこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100719#p1)。 前回のエントリでも触れたとおり。 嵯峨天皇は、崩御に際して、徹底的な薄葬を命じる遺詔を残しています。…

陵墓マニアよ永遠なれ

というわけで。 個々の陵墓についてのレポートはまだまだ山のように残っている状態ですが。 この4月から3回にわたって出向いた現地調査の結果、新たに見学した陵墓も相当数にのぼってきましたので。 以前のエントリで紹介させていただいた「実際に自分の足…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(6)

…またほぼ1か月間が空いてしまいました。 前回のエントリはこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100620#p1)です。 後亀山天皇陵から車を走らせ。 大覚寺の裏手を回ると。 ↓こんな標柱が立っています。 嵯峨天皇陵は、ここから山を登ったとこ…

血が騒ぐニュースがまた1つ…

「宮内庁制限の古墳、航空レーザー計測で3D画像」(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100626-OYT1T00749.htm) 奈良県立橿原考古学研究所と測量会社「アジア航測」(本社・東京)は、宮内庁管理の陵墓参考地で奈良市の「コナベ古墳」(5…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(5)

というわけで。 ここからは後半戦のお話になります。 修理を終えた車を無事に引き取り。 前回行くはずだった陵墓をいざ調査!と勇んで飛ばしました。 途中、こんなイヴェント(http://www.eonet.ne.jp/~umearasi/topics.html#mifune)当日で大勢の観光客でご…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(4)

あまり間が空きすぎないうちに、つづき行ってみたいと思います。 今回で一気に前半戦を片づけてしまう予定。 鳥羽天皇陵を後にした直後。 車にトラブル発生。 ディーラーに緊急ピットインを余儀なくされてしまいました。 果たして。 ディーラーによると、修…

夢の中でも陵墓マニア

ようやっと、1週間のおつとめ完了。 添い寝していた娘を朝方に妻に託した後、優雅に二度寝をさせてもらいました。 …夢の中で。 自分がいたのは、確かに京都・泉涌寺の月輪陵でした。 しかも…一般拝観客は立ち入りのできない、拝所の中にあるそれぞれの天皇…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(3)

随分間が空いてしまいました。 ほぼ1か月ですか。 あまりに空き過ぎてしまったので、前回のエントリのリンクを貼って誘導しておきたいと思います。 こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20100504#p1)からどうぞ。 というわけで。 つづきいきま…

このネタだけ、先に報告しておきましょうか。

今回の京都滞在中。 現地調査の途中で半ば「ガス欠状態」となってしまったこともあり。 「肩の力抜いて見られるところを見よう」ということで、普通の観光もしました。 というわけで。 出掛けたのは、等持院です。 ↓庭園が素敵でした。 ↓足利尊氏の墓。 これ…

こういうのを研究しているときが1番楽しい。

陵墓めぐりのレポートは、一旦お休みです。 とはいっても、まるっきり無関係の話ではないのですが。 表題にもあるとおり。 貞応2年(1223年)の今日5月14日*1、「後高倉院」の追号で知られる守貞親王が崩御しています。 彼の詳しいプロフィールについては…