たまには「国文科出身」というところも見せとかないと。

またまたいつものChattertonさんのところの話題で恐縮ですが、短歌を解釈し、そこから空欄を穴埋めするという企画がありました(http://d.hatena.ne.jp/Chatterton/20050621#p3)。
自分、専門は平安文学だったものでして、近代文学はサパーリでした。散文、韻文問わず。明治以降の歌人でそれなりに詳しいのは、高校2年のときにレポート書いた与謝野晶子ぐらいです。
その代わりといってはなんですが、平安期の短歌は、そりゃもうじっくりとやりこみましたよ。『古今和歌集』を筆頭に、『伊勢物語』『大和物語』などの歌文学、さらに『源氏物語』の作品中で詠まれた短歌まで。「たをやめぶり」なんて言われて正岡子規与謝野鉄幹あたりにボロクソに貶された平安期の短歌ですが、私としては勇壮な「ますらをぶり」の『万葉集』よりはむしろこっちのほうが好きだったりします。心情の機微がよく現れているような気がして*1
せっかくですから、ここで個人的に好きな平安期の短歌をいくつか紹介したいと思います。順不同、思いつくまま。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを (『古今和歌集小野小町

数ある平安短歌のなかでも1番好きな歌です。先入観としてけっこう「ツンケンした美人」というイメージ抱いてしまう小野小町ですが、こんな「あなたのこと思いながら眠りに落ちたので、きっとあなたの姿を見てしまったね。夢と知っていたら覚めないでくれればよかったのに…」なんて、かあいらしいこと言われた日にゃー…。もう「駆け寄ってキュッ」としてあげたくなっちゃいます。

くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき (『伊勢物語』第23段)

伊勢物語』では有名な短歌の1つです。子供の頃から一緒に育った男女が、お互い「いつかは一緒に…」と思いつつもなかなか進展しなかったある日、意を決した男のほうから「筒井筒井筒にかけしまろがたけすぎにけらしな妹見ざるまに」(井筒の高さを目指した私の背丈は、あなたが見ないうちに井筒を追い越してしまったよ)という求婚歌を贈ってきた、それに対する女の返歌、です。「あなたと長さを比べていた振分髪も肩を過ぎるぐらい長くなりました。あなた以外の誰が髪上げをしてくださるでしょうか」。実にストレートな「告白OK」の返事です。なんかすがすがしい。

はかりなき千尋の底の海松(みる)ぶさの生ひゆく先は我のみぞ見む (『源氏物語』「葵」巻)

最後は卒業論文を書いた『源氏物語』から。山のように収録されている短歌のなかで個人的なベスト1はこれです。光源氏が美しく育った紫の上の髪をそぎながら詠んだ歌。「この黒髪が美しく伸びていく将来はこの私だけが見届けましょう」という意味です*2。マイナーな歌だけど、1番気に入ってる歌です。「行く末をいつまでも見届けたい」、ものすごい殺し文句だと思いますよ*3


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*1:だからと言って、『万葉集』に代表される上代歌謡がキライというわけではありません。別物としてキチンと評価してます。

*2:元古典教師のタマゴとして説明させていただくと、「はかりなき千尋の底の海松(みる)ぶさの」は「生ひゆく」を導き出すための序詞。「海松(みる)ぶさ」は「群生している海藻」のことで、しばしば「美しい黒髪」を例えるのに使われるそうです。

*3:ちなみに、紫の上の返歌は「千尋ともいかでか知らむさだめなく満ち干る潮ののどけからぬに」。「千尋といってもどうして分かりましょうか。満ち引きする潮のように落ち着いていないあなたが」という意味。15歳の小娘の返歌としては「恐るべし」です(笑)。