恥の多い人生を歩んできました…

今を去ること×年前、高校3年生だった頃の、今日6月29日の話です。


この日、私は一大決心をしました。
「生涯初めてのパーマをかけるぞ」と*1


で、意を決して理容室へ*2
数十分後。


チリチリの、パンチパーマ1歩手前の髪形にされた自分の姿が、鏡の中にありました。


ホント、その場で腹切りたくなりましたよ。なんじゃこりゃ、この鳥の巣みたいなアタマは!? って泣き叫びたくなりました。なにより、こんな頭で翌日どうやって学校に行けばいいんだろうって途方に暮れました。いっそのこと「サンプラザ中野と同じ髪型に修正してください」と頼んでしまおうか…とか。さりとて、坊主にする勇気もなく、チリチリ頭のままトボトボと帰宅しました。


翌日登校すると。
予想通り「学年中の話題独占」でした。いや大袈裟じゃなく。教室に入るなり爆笑の渦、朝のHRで担任はツボにハマって大笑い*3、1時間目終了後には他のクラスから大勢の人間が「私の頭を見るため」だけに教室の外に長蛇の列を作る始末。本当に氏にたくなりました。
しかもタチの悪いことに。7月に入ると水泳シーズンが始まりました。時間の変化とともに少しずつではありますがパーマのウェーヴの具合もおとなしくなってきていたのですが、水泳の時間に水に濡れると途端に元のチリチリ状態に。かくして「(CasparBartholin本名・ファーストネームのほう)の形状記憶パーマ」として私の頭は卒業まで1大センセーショナルを巻き起こすに至ったのでした。


あれから×年が経ったわけですが、6月29日が来るたびにあのときのことを思い出します。
そう、私にとって、6月29日は「国恥記念日」*4にも等しい、忌まわしい思い出の1日なのです*5


パーマは、かけられるうちが華。人気blogランキング

*1:うちの高校はユルい高校だったので、パーマは「黙認」状態でした。

*2:ここがそもそもの間違い。なんで美容院に行かなかったのか…。

*3:ていうか、クラスの生徒がパーマかけたらまずは注意するのが普通だろ。笑うとこじゃないって。

*4:1915年、袁世凱政権が「対華二十一か条の要求」の受諾を決定するに際して、その屈辱を忘れないために、受諾を決定した5月9日を「国恥記念日」と称したという日。

*5:ちなみに、トラウマになったわけではないんですが、それ以来2度とパーマはかけていません。