悲しい歌はもう歌わない

Chattertonさんところで、夏目漱石が大塚楠緒子の死に際してに贈った「あるほどの菊抛げ入れよ棺の中」という追悼句を「山川登美子へだっけ」と誤ったコメント残してしまいました。国文科OBにあるまじき愚挙。
そもそも「挽歌」というのは悲痛なものです。人の死を(しかも、愛しい人だったり近しい人だったりの死を)モチーフとしたものですから。絶唱の中に、詠み手のその人への胸いっぱいの愛が伝わってくるような、そんな歌にめぐり合うとき、こちらも心の中で大粒の涙をこぼさずにはいられないというものです*1
私の心の中に残る挽歌を1つ。藤原定子が難産の末に24歳の若さで世を去ったときに、夫君である一条天皇が詠んだ御製です。

野辺までに心ばかりは通へどもわが御幸とも知らずやあるらむ

政略結婚の結果結ばれながらも、奇跡的なまでに相想う関係を構築することができた2人ではありましたが、道長専制の始まり、彰子の入内、兄伊周の失脚と落飾…と次々と悲しい出来事が2人の間に障害として立ちはだかりました。そのようななかでも、定子は明るさを失わず、一条帝はそんな定子に愛を傾け続けてきました。しかし、最後の最後に、決定的な「死」という壁が永遠に2人を分かつことになってしまったのです。さりげない言葉遣いではありますが、愛する人を失った一条帝の慟哭が伝わってくる1首です。


余談ですが、挽歌系の歌謡曲って、間違いなくカラオケになじまないですよね。沢田知可子の『会いたい』とか、 THE虎舞竜の『ロード』とか。あ、古くはちあきなおみの『喝采』もそうか。歌うヤツ私の周りには見たことないですけど(笑)。


これから渋谷に行ってきます。帰ってきたらいよいよ「日本史」カテゴリ更新予定。人気blogランキング

*1:あくまで「心の中で」ということにしておこうか(笑)。