彼女にはどういう挽歌が贈られたのか…。

お待たせいたしました。やっとこさ「日本史」カテゴリの更新です。
予告どおり、「箸墓古墳」について、です。


箸墓古墳宮内庁的には「倭迹迹日百襲姫命墓」*1と言います。3世紀末頃に築かれたと考えられている、古墳時代前期の特徴を色濃く残す前方後円墳です。
この古墳が築かれるに至った経緯として、『日本書紀』にはこのような逸話が残されています。

倭迹迹日百襲姫命大物主神*2の妻となったが、大物主神はいつも昼間は姿を見せず、夜だけ訪ねてきていた。姫は「あなたはいつも昼間は姿をお見せにならないので、そのお顔を見ることができません。お願いですから、しばらくの間ここに留まっていてください。翌朝にお姿を拝見したいです」と言ったところ、大物主神は「では、翌朝私はあなたの櫛を入れる箱の中に入っているとしよう。ただ、私の姿に驚いてはいけませんよ」と答えられた。姫は内心怪しみながら、夜が明けるのを待って櫛の入った小箱を開けたところ、小さな蛇がいた。それを見て姫は驚き、声を上げた。そのとき、大物主の神は自らの姿を恥じて、たちまち人間の姿に変えて、姫にこう言った。「おまえは私に恥をかかせた。私もおまえに恥ずかしい思いをさせてやろう」と。そして空を蹴って三輪山へと帰ってしまった。姫は空を仰ぎ見て、後悔のあまり尻餅をついたところ、箸で女陰を突き刺して亡くなってしまった。(中略)そのため、当時の人々は、彼女の墓を名づけて「箸墓」と呼んだ。

…いろいろ言いたいことはあります。どういう尻餅ついたら「箸で女陰を突き刺して亡くなる」ことができるのだろうか、とか*3(笑)。そもそも、箸が床におっ立っていなければ不可能な芸当だと思うのですが。そんなにトッちらかっていたのでしょうか、この姫さんの宮殿は(笑)。
ちなみに、この箸墓古墳、「昼は人作り、夜は神作る」と『日本書紀』に記されています。大物主神も姫を死に追いやってしまったことを後悔したのでしょうか? さらに余談を付け加えれば、「邪馬台国畿内説」が成立すると仮定したとき、倭迹迹日百襲姫命卑弥呼と同一人物と考える見方もあるようです。じゃあ、それはすなわち「卑弥呼が箸で…」ってことですよ、ね。イヤーン。


もはや「箸が転がってもおかしい年頃」などとは言ってはいられまい。人気blogランキング

*1:倭迹迹日百襲姫命」は「やまとととびももそひめのみこと」と読みます。…舌噛みそうな名前です。なんてったって、「と」が3つ続くわけですから(笑)。「倭」は「大和」、「迹迹日」は「鳥飛び」、「百襲」は「百十」の意味で、「鳥が飛ぶように霊魂が速く働く、優れた才能の持ち主である女性」という意味の美称らしいです。

*2:三輪山主祭神大神神社奈良県桜井市)に祀られている。ちなみに、この神社、神殿がなく、「三輪山そのものがご神体」という、世にも珍しい神社です。

*3:痛いことこのうえない最期だと思うのですが。だって…「串刺し」ですから(笑)。しかも…「女陰」ですよ奥さん(笑)。