ところで番場蛮はご存知ですか?
ネットをしていると、ひょんなことからから思わぬ知識の拾い物をすることがままあります。
偶然、戦前から戦後にかけて巨人で活躍した「黒沢俊夫」について書かれたページに辿り着きました。
「はてなキーワード検索」でも確認したらちゃんと項目ありましたね。
そこには、今まで知らなかったことが多々掲載されていました。
左投左打の俊足外野手だったこと。
最初は名古屋金鯱軍や大洋軍(西鉄軍)で活躍していたこと*1。
昭和19年に、太平洋戦争による選手不足の穴を埋めるために、巨人にトレードとなったこと。
それは、巨人軍のトレード第1号だったこと。
背番号が4になったのは、応召中だった川上哲治の後を受けて4番を打っていたのでたまたま空き番号だった4番をつけることになったからだということ。
球団初の永久欠番が作られようとしたとき、沢村栄治の14番とともに彼の4番を永久欠番にしてほしいと球団に掛け合ったのは、あの「猛牛」千葉茂だったということ。
プロ野球に詳しい皆さんには、どれもこれもおなじみのネタだったかもしれません。
しかし、自分には「へぇの嵐」でした。
もとから知っていたのは「現役中に腸チフスのために他界した」「背番号4は巨人初の永久欠番だった」ということぐらいでしたし。
まあ、単に自分が物を知らなかっただけに過ぎないのかもしれませんが。
でも。
こうやって、知らなかった知識を新たに手に入れられることは、とても嬉しい楽しいことです。
そんなこんなの積み重ねで、ここまでやって来たんだな、と思っています。
これからも、いろんな「知らなかったこと」が自分を待っていてくれることを楽しみにしながら日々過ごしていきたいなあ、と改めて思いました*2。
病に倒れた黒沢俊夫が、苦しい息の中残した「私が死んだら、死体に巨人軍のユニフォームを着せてほしい。巨人軍の一員のままで死にたい」という言葉は壮烈です。元祖「ジャイアンツ愛」と言ってもいいかもしれません。