昔の書き物を探していたら…

ステイゴールドについて物した文章見つけました。
彼が引退レースを勝利で飾った、2001年12月に書いたものらしいです。


トップロードを追悼しつつ、彼とともにターフを駆けた仲間にかつて贈ったエールをここに再録させていただければと思います。

12月16日、葉山合宿*1で「朝5時まで飲み続ける」という実に久々のムチャをしでかした僕は、疲れ果てた身体引きずり帰宅。とりあえず、習慣的にインターネットにつないで、さるページにアクセス。そんな自分に飛び込んできた、1つのニュース。
欣喜雀躍したわけではない。
でも、なんとなく、じわーっと心の中から湧き出てくるように、密やかに嬉しかった。
別に彼の熱狂的なファンだったわけではない。
でも、いつからか、彼の存在はけっこう自分の中では大きなものになっていたのだ。
自分でも気づかないうちに。


彼を初めて知ったのはいつだったのか。やっぱり、GI初出走となった97年の菊花賞かな。確か、そんときゃ8着。僕がしこたま持っていたマチカネフクキタルメジロブライト馬連は、ダイワオーシュウがブライトをハナ差かわした瞬間にただの紙切れとなった。ショックで呆けていた自分に、彼の存在など目に入ろうはずもなかった。
翌年の天皇賞・春。僕の本命はメジロブライト。そして、おいしい中穴のヒモ候補としてローゼンカバリーを指名。しかし…1−3着。嗚呼、ワイド馬券があと2年早く導入されていれば…。自分をさんざん歯ぎしりさせた、そのときの2着馬が彼だった。正直、まだまだ彼の存在は眼中なかった。
宝塚記念。自分は絶対の自信を持ってサイレンススズカに◎を打った。サイレンススズカから、エアグルーヴメジロブライトシルクジャスティスなどに手広く流してみた。しかし、またも2着は彼。完全なヒモ抜け。またおまえか…。そう思わされた僕。もう彼の名前と存在は忘れられようはずがなかった。
天皇賞・秋。僕は遂に彼に○を打った。初めて彼に印をつけた。サイレンススズカから彼へ。磐石と思われた大本命馬の2着候補1番手として、遂に彼を指名するに至った。そして、僕の狙い通り、彼は2着。しかし、僕の馬券は…いや語るまい。あの府中の森の悪夢を。
それ以降、彼と僕との歯車は狂い始めた。馬連を買うと…3着。ダメだと思って消すと…99年天皇賞・秋みたいに突然2着。今度こそ大丈夫だと思って買えば…着外に沈む。ワイドができたから3着狙いで買ってみても…4着。特に、2000年の天皇賞・春宝塚記念には泣けた。ブロンズゲットを期待して、どれだけテイエムオペラオーから彼へのワイドを買ったことか。「…頼むよひとつ」TVの中の彼に向かってボヤいている自分がいた。
でも、彼のためにどんなに馬券をはずし続けても、いや、むしろ彼の馬券をはずすたびに、なんとなく、彼に対して何とも言えぬ愛着が湧いてくるのを覚えるのも、また事実だった。「…どうせワイド買えばまた4着だろ」「…ホントに4着になりやがった! なめとんのか!(笑)」なんて彼を罵倒してもみたが、彼のことがキライなわけじゃなかった。むしろ、彼にイタい目に遭わされるたびに、どんどん彼のことが気になるようになってきた。よくよく自虐的な性分と見える。
そんな彼も、明け7歳。従来までの馬齢表記なら8歳。いつしか熱狂的なファンを数多く持つようになった彼についての今年の話題は、「彼は悲願のGI勝ちを達成できるか?」。昨年、目黒記念で初重賞制覇を達成したときには、GIIにも関わらずターフがGI制覇以上のお祭り騒ぎになったそうである。彼に何とかGIを取らせてやりたい、それはいつしか多くの競馬ファン共通の願いになっていたように思う。ドバイであのファンタスティックライトを破って国際GIIを制して以降は、特にその声が強くなった。
僕も勝負に出た。2001年天皇賞・秋、僕は遂に彼に◎を打った。ご丁寧に、単勝までしこたま買った。心情馬券じゃなかった。それだけの馬だと思っていたから。「そんなのもいたっけ」程度の存在でしかなかった菊花賞から4年、彼は遂に僕に◎を打たせるまでの馬に成長したのだ。自分自身の力と努力で。
しかし、結局彼は7着。続くジャパンカップも、遠くフィレンツェで聞いた*2風の便りでは4着だったという。「また4着かよ。最後の最後まであいつらしかったなあ…」。僕としては、それで終わりだと思っていた。結局GIには最後まで手が届かなかったけど、それゆえにみんなが彼のことを気にかけ、彼のことを愛していた。記録よりも、記憶に残る馬…それでいいじゃない、心底そう思っていた。
そしたら、引退レースの国際GI、香港ヴァーズ、彼は10馬身もの差を直線だけで一気に詰めて、あっという間にGIタイトルを掴んでしまった。鞍上の武豊が「背中に羽が生えているようだった」と語るほどの豪脚。これが、あのジリ脚でもどかしいレースしかできなかった彼なのか…。驚いた。
でも、嬉しかった。50戦ものレースを頑張り続けた彼に、最後の最後に天からプレゼントが贈られたんだと思う。いや、そんな言い方は彼に失礼かな。彼自身の実力で勝ち取った悲願のGIタイトル。これで胸を張って種牡馬入りできるはずである。みんなに愛された彼のために、本当によかった。


以前、同じようなキャラクターで絶大な人気を誇った馬に、ナイスネイチャがいた。僕はナイスネイチャの全盛時代は知らない。だから、古い競馬ファンが、顔じゅうに笑みを浮かべてナイスネイチャのことを語るのを、羨ましいような、もどかしいような気持ちで眺めていたのを、自分でもよく覚えている。
そんな僕も、彼のことは、きっと同じように顔じゅうに笑みを浮かべながら、これからも語ることができると思う。「…こいつにはさんざんな目に遭わされたんだよ。買わなきゃ2着、3着に飛び込んでくるし、買ったら来やしないし。どれだけこいつに損させられたことか。でも…こいつがいたから、競馬、楽しかったよな」。
2002年のGIシリーズ、僕はきっと彼の存在がないことを心のどこかで寂しく思わされることだろう。テイエムオペラオーも、メイショウドトウもそうだろうけど、特に彼がいない寂しさはひとしおだと思う。もう「どうせまた4着だろ?」と彼に毒づくこともできないんだし。
でも、彼は最後まで頑張って、そして最後の最後に栄光を掴んで故郷に帰っていくんだから、ここはエールをもって送り出してやりたいと思う。
今までありがとう、ステイゴールド。第2の馬生でも、その名のとおり「黄金であれ」。


…繰り返しになりますが、ぜひステイには、トップロードの分までいい仔を出してもらいたいと思います。いつか会いに行くから、首を洗って待ってろよ(笑)。


余談ですが、職場の上司によると「ラムタラは性格よくてかわいかった」らしいです。人気blogランキング

*1:所属サークルの合宿。

*2:某日曜お昼のクイズ番組でいただいた旅行でイタリア旅行中でした。