いや、チャンジャじゃなくて…

「亀ナマで舐める」のはイヤなので(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20051206#p1)、予告どおり更新します。


もう相当以前のエントリになりますが、「高橋景保は、いわゆる「シーボルト事件」の際、シーボルトに日本地図を寄贈したのを咎められて牢につながれ、そのまま獄死しました。しかし、遺体は塩漬けにされ、後に改めて死刑の判決を受けて、遺体に対して刑が執行されたとのことです」と書かせていただいたことあります(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20051026#p1)。
その際、「この「塩漬け」については、蔵書ひっくり返したら詳しく説明が書いてある本を見つけたので、またいずれ日を改めて」と書いたのですが。
その「いずれ改めて」です。


『大江戸残酷物語』(氏家幹人洋泉社)という新書に、そのときの様子が詳しく書かれています。
大江戸残酷物語 (新書y)
その本によると…。


塩漬けされる遺体には。
肛門と口から大量の塩が詰め込まれたらしいです。
以下、『蕃蕪子』という当時の書物から引用されている箇所を抜粋します。

塩漬の致し方ハ、尻の方へ竹筒をつらぬき、塩を突込むこと夥(おびただ)し。凡(およそ)八九升も這入候よし也。口を開きて、ここよりも塩を詰めとぞ。

…ゾッとします。
まあ、ぶっちゃけ、逝ってしまった後なのですから、痛いもナニもあったわけじゃないんでしょうけど(笑)。
それでも、私なら、死後こんなことされたらかなり屈辱的だよなあ…。


さらに。
別の書物に書いてあるより詳細な説明によると。

まず肛門から「ささら」(簓。竹を細かく割って束ねたもの)のようなものを入れて内臓をかき出し、口と肛門から塩を詰め込み、さらに眼球をえぐり出してその穴からも塩を詰める。底に穴のあいた瓶で塩漬けにし、瓶は昼夜四人ずつで厳重に見張りをする。

だそうです。
肛門に「竹を細かく割って束ねたもの」! キャー!


そうしてしばらくすると、腐敗して液状化した内臓などの肉が塩と混ざって瓶の底の穴から流れ出てくるそうです。そうすると、塩が少なくなるので、さらに瓶の中に追加する。そうこうを繰り返していくうちに、遺体は骨と皮ばかりの塩魚のようになり、臭気も取れていく…とのことです。


高橋景保に「重々不届之至ニ付、存命ニ候得者、死罪被仰付者也」と改めて死刑の判決が下ったのは、彼の死*1から1年以上が経過した文政13年(1830年)3月26日のことでした。その後、死体は取り捨てとなり、下谷源空*2に葬られたといいます。


…それにしても、死して1年以上も塩漬けにされたうえ、生きているときと同様に死刑を執行されて*3取り捨てられた遺骸。
建前としては「刑が確定するまで、生きているときと同様に身体を保持しないといけなかった」からなんでしょうけど。
なんかこう…不思議ですが、「生きているときに死罪を受ける」よりさらに憐れを催してしまわずにはいられません。


BGMは奥田瑛二の歌う『イタイのそこが』で。人気blogランキング

*1:文政12年(1829年)2月16日のこと。

*2:現在の東京都台東区東上野六丁目にあるとのこと。

*3:引用文献には詳しくは記されていなかったのですが、「死罪」ということは、おそらく「公事方御定書」に規定されていた「獄門」「死罪」「下手人」の3つの斬首刑のうちの1つである「死罪」であり、遺体は斬首刑を受けたのだと思われます。なお、3者の違いは、「獄門…斬首後に首は晒され、かつ遺体は試し切りに供される」「死罪…斬首後に首は晒されないが、遺体は試し切りに供される」「下手人…斬首後に首は晒されないし、遺体も試し切りには供されない」であり、当然罪の重さは「獄門>死罪>下手人」でした。ただし、武士が死罪(切腹を許されずに斬首刑を受けること)となった場合には原則として試し切りには供されなかったようです。