壮士の最期(番外編)

…いい加減「日本史」カテゴリを更新しないと*1…と思い、急遽書いてみました。
とは言っても、まだ体調が本調子でないくせに公私ともにやんなきゃいけないことテンコ盛りの状態なので、山南敬助ネタでも、赤穂浪士のつづきでもなく、ここは「番外編」的な短い文章をば。


弊ブログ、リンク元が分かるようになってるんですけど。
「荒川十太夫」という検索ワードで辿り着いた方が今日いらっしゃるんですね*2
荒川十太夫は、伊予松山藩主松平隠岐守の家臣で、徒目付を務めていた当時35歳の武士でした。赤穂浪士切腹の際には、堀部安兵衛不破数右衛門の2人の介錯を担当しています*3


で。
その検索エンジンから飛ぶことのできる他のページにも行ってみて。
そこで知ったのですが。


上方講談師・旭堂南海さんの持ち演目の1つに『荒川十太夫』というのがあるそうです。


どんな演目か、内容がとても気になります。
ご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください。


★★講談って1度聞いてみたいと思ってたんだよな。人気blogランキング★★

*1:最後に書いたのは2月14日。いくら忙しかったからと言ってもこれはあんまりだ。

*2:ヒットしたのはココ(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060211#p1)です。

*3:松平家では「1人の家臣が2人の浪士の介錯を担当」しました。赤穂浪士がお預けになった4家では、他に毛利家もそうでした。他方、細川家、水野家では「1人の家臣が1人の浪士の介錯を担当」しました。