また1頭…

今度はメジロマックイーンが亡くなったそうです(http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20060403&a=20060403-00000129-mai-spo)。

春の天皇賞を史上初めて連覇するなどG1レースで4勝を挙げた芦毛(あしげ)の名馬、メジロマックイーン(牡・19歳)が3日午後5時15分、心不全のため北海道浦河町社台スタリオンステーション荻伏で死んだ。
90年にデビュー。同年の3冠レースの一つ、菊花賞を制し、86年の兄メジロデュレンとともに兄弟制覇を遂げた。91年の春の天皇賞で優勝し、メジロアサマ(70年秋)、メジロティターン(82年秋)に続く父子3代天皇賞制覇の偉業を達成。翌92年春の天皇賞も制し、史上初めて同一天皇賞を連覇した馬となった。93年の宝塚記念で1着となり、4年連続G1制覇を果たした。
また、91年秋の天皇賞では武豊騎手が騎乗して1位入線したが、スタート直後に他馬の進路を妨害したため、18位に降着。G1レースで1位入線馬が降着となったのは初めてで話題になった。通算成績は21戦12勝、獲得賞金は10億1465万7700円。
◇「4代制覇」の夢は、残された産駒に託され
「ファンも多い馬だし、もう少し長く生きてほしかった」。3日死んだメジロマックイーン(牡19歳)が種馬として過ごしていた社台スタリオンステーション荻伏(日高管内浦河町野深)の林勲場長(64)は静かに語った。この日はくしくもマックイーンの19歳の誕生日。「こんなに早く逝(い)くとは思わなかった」とため息をついた。
同日午後5時ごろ、マックイーンは今年3頭目となる種付けを終え、いつも通りきゅう舎に戻った。直後の午後5時15分ごろ、突然けいれんを起こし倒れたという。苦しそうにいななき暴れるマックイーンの顔を駆け付けた林場長とスタッフは壁にぶつけないように抑えたが、5分ぐらいで動かなくなった。最後は苦しさのためか、右目に涙をためていたという。
同牧場に来たのは03年12月。以来一度も体調を崩したことはなく、3日も普段と変わらず元気良く餌を食べていた。「何の兆候もなく、本当に急だった。みんな驚いているが、こればかりはどうしようもない」
前日までに種付けをした2頭は無事受胎し、順調に行けば来春、マックイーンの最後の産駒が誕生する。親子3代で天皇賞制覇を果たしたマックイーン。「4代制覇」の夢は、残された産駒に託された。

…もう19歳になっていたなんて知りませんでした。考えてみれば、1990年クラシック組だから、それぐらいのトシにはなってますよね。元気だと聞いていたのですが、心不全ですか。冥福を祈ります。


メジロマックイーンの思い出といえば。
自分が生涯初めて馬券を買ったのって、メジロマックイーンが断然の1番人気に推された「あの」レースでした。
当時は馬連なんてなく枠連のみで、「単枠指定」という制度*1 *2 *3があり、当然のようにマックイーンは単枠指定をされていました。
で、全くの競馬シロートだった私も、先輩に勧められるままに、マックイーンの1枠からいくつかへの枠に流して馬券を購入したのですが…。


メジロマックイーンは2着に入り、かろうじて馬券に絡んではくれたのですが。
1着に入った相手が…。


「これはビックリ、ダイユウサクです」でおなじみの。
15頭立て14番人気のダイユウサクでした。


そう。
「あの」レースとは、かの有名な、1991年有馬記念でした。


ダイユウサクの入っていた5枠は、14番人気ダイユウサクと、15番人気オースミシャダイという、人気薄ツートップの組み合わせの枠でした。
当然のように、自分。
5枠との組み合わせは買っていませんでした。


生涯初の馬券勝負、黒星スタート。
その後の競馬人生を暗示しているかのようです。
今思い返すと、「馬券デビューを果たすにはあまりに酷だったレース」といえるかもしれません。まあ全て結果論ですけど。


メジロマックイーンというと。
彼のレース人生のハイライトとは関わりなく、どうしてもこの日のことを思い出してしまうのです。


エイダイクイン*4が代表産駒で終わってしまうのでは寂しすぎます。
メジロアサマメジロティターンメジロマックイーン」と続いた天皇賞馬の系譜を受け継ぐ4代目の誕生にかすかな期待を抱くのは…自分だけではないはずです。


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*1:断然の人気になることが予想される馬を、他の馬と同じ枠に入れずに、1頭だけの枠「単枠」に入れるという制度。

*2:というのは、枠連では、断然人気の馬と全く人気薄の馬が同じ枠に入っていたとき、人気の馬が取り消したとしても、同枠の人気薄の馬は出走するので、ゾロ目以外は馬券的には有効となり買い戻しができないと決められています。そんなときに暴動が起こる(?)のを防ぐために、人気が予想される馬は1頭のみの枠とし、取り消したら払い戻しができるようにした制度です。

*3:最初に単枠指定されたのは1973年皐月賞キタノカチドキ(1着)、最後に単枠指定されたのは1991年セントライト記念レオダーバン(3着)でした。

*4:1998年クイーンカップGIII)の勝ち馬。GIでも、2000年エリザベス女王杯3着の実績があります。彼の産駒で重賞を制したのは、他にタイムフェアレディ(2001年フラワーカップGIII)がいます。)