秀歌の詠み手を探る。
私としては珍しく、室町時代のことなどお話してみましょうか。
応仁の乱のことを説明するときに。
高校の日本史Bの授業などで、必ずと言っていいほどよく紹介される短歌があります。
『応仁記』に収録されている、戦乱で荒廃した京の様子を嘆いた
汝(なれ)や知る都は野辺の夕雲雀 あがるを見ても落つるなみだは
という歌です。
ここまでご存知の方は少なくないでしょう。
では。
この短歌の作者、ご記憶ですか?
ちょいとマイナーな知識です。
山川出版社の『日本史B用語集』にも、もしかしたら掲載されていない人物かもしれません*1。
正解は。
「飯尾彦六左衛門尉(いいお・ひころくさえもんのじょう)」です。
『応仁記』に「古へにも治乱興亡のならひありといえども、応仁の一変は仏法王法ともに破滅し、諸宗悉く絶はてぬるを、不堪感歎(かんたんにたえず)、飯尾彦六左衛門尉、一首の歌を詠じける」(原文はカタカナ表記)と掲載されています。
ディープな日本史マニアの方ならあるいはご存知だったかもしれませんが*2、やはり日本史の問題としてはかなりの難問の部類に入ろうかと思います。
短歌そのものが有名であるにもかかわらず、作者はあまりメジャーでない…といういい例です*3。
そうなると。
ヘソ曲がり…もとい、探究心旺盛なワタクシとしては。
「飯尾彦六左衛門尉って…どんなヒトだったの?」ということが気にかかって仕方ないのですよ。
…で。
調べました。
彼、名前は「常房」といい、阿波国守護を務めた細川成之の家臣だったとのこと。
書道の名手として知られ、歌人としても、尭孝法師*4に師事して精進したといいます。
そういう素養があったからこそ、「汝や知る…」の歌が即興で出てきたのでしょう。
飯尾彦六左衛門尉は、記録によると、文明17年(1485年)閏3月23日に64歳で他界したといいます。
★★「林家彦六左衛門尉」だったらヤだ。人気blogランキング★★