真面目なネタも上げてみる。

…妻が「カピタン」なんて話題に出したのに触発されたわけではないのですが。
長崎市教員委員会の「甦る出島」なんてHP(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/f_prologue.html)なんぞ訪ねてみました。


ここ、地味に面白いです。
新たな知識の宝庫。

出島に滞在したオランダ人は、18世紀まではオランダ東インド会社の社員でした。オランダ船が来航していない期間は、商館長、次席商館員をはじめ約15人ほどが勤務していました。商館長は、初代のヤックス・スペックスから最後のドンケル・クルチウスまで全部で163人。滞在期間は1年となっていましたが、ヘンドリック・ドゥーフのように、14年間も滞在した商館長もいました。

…調べずにはいられないのが、私の哀しいサガです(笑)。
ヘンドリック=ドゥーフ(Hendrik Doeff)、享和3年(1803年)11月14日から文化14年(1817年)12月6日までの、実に14年間の長きにわたってカピタンを務めました。

出島オランダ商館長のなかで、ヘンドリック・ドゥーフほど日本人から信頼された商館長はいないといわれています。ドゥーフは1799年に来日し、1803年には出島商館長に就任。しかし、当時のオランダはフランスの支配下にあったため、彼の長崎滞在は苦難の連続でした。1809年から1817年までオランダ船の来航がなくなるという状況のなかで起きたイギリス船フェートン号事件や、イギリスによる出島占領計画。こういったいくつかの試練を乗り越え、オランダ商館を守り抜いたドゥーフは、オランダ政府だけではなく、江戸幕府からも大いに賞賛されたといわれています。

…と「甦る出島」に説明ありました(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/glass/contents/main_004.html)。
肖像画も掲載されているので、興味がある方はぜひ。


このドゥーフ。
14年もいるうちにすっかりジャパナイズされたようで。
仙台の俳人大谷士由(おおや・しゆう)が編んだ『宅鮓(みさごずし)集』という句集には、なんと彼が詠んだ「春風やアマコマ走る帆かけ船」という俳句が収められています。


余談ですが。
この「甦る出島」には。
「クイズ!カピタン塾」なる、3択クイズ10問が出題されるコンテンツがあります(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/quiz/index.html)。
全問正解でプレゼントがもらえるので、みなさん頑張ってみてください。
私? ええ、サクッと全問正解させていただきました(笑)。


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