西へ!(中編)

旅行記のつづきいきますです。


八木家。
京に到着した近藤たちが、2年近く屯所として寄寓した家です。
文久3年(1863年)9月18日、芹沢鴨が暗殺されたのも、この家での出来事でした*1


その殺害現場になった部屋で。
ボランティアとおぼしき人が説明してくれました。
いろいろ一生懸命説明してくれたのですが…。


…全部知ってることでした。
その人がおそらく「取っておきのネタ」として用意して披露したであろう「切腹介錯をしてすぐ、八木家に現れモチをついた隊士がいる」というネタですら。
弊ブログで半年以上前に紹介したことのあったネタでした(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20051017#p1)。
ボランティアの人は、ユーモアを交え、一生懸命説明してくれたのですが…。
濃ゆすぎるワタシが悪かったのでしょうね。
「全部聞いたことのある話だった」と八木家を後にした直後にこぼしていた妻よ、濃ゆすぎる夫を持ったがゆえと諦めたまえ。


続いて。
八木家と並んで屯所になっていた、前川家。
以前平日に訪ねたときにはクローズドだったのですが、土曜日ということもあって、一部公開されていました。
もっとも、池田屋事件の前日に土方歳三が尊皇派の志士である古高俊太郎を拷問にかけた*2という土蔵は公開されていませんでしたが。


売店をからかうと。
土方歳三の愛刀「和泉守兼定」の模造刀が!
「欲しい!」と思い、値札を見ると…150,000円
妻に手を引かれて、泣く泣く撤収。


少し歩いて。
山南敬助の墓がある光縁寺に向かいました。
(光縁寺については、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060322#p1)をご参照ください)


門前に。

見学はお断りします。
墓参の方のみお入りください。


※墓参…手を合わせてお祈りいただければ誰でもできます

と書かれた貼り紙がありました。


聞くところによると。
大河ドラマ新選組!』の直後からか。
マナーの欠ける行動を取る人がしばしば訪れたので。
このような貼り紙を出したのだとか。
それはいけません。勇士たちが永遠の眠りについている場所なのですから、静粛&敬虔に振舞わないと。


「参拝を中止している」という説もあったのですが、そこまで至っていなかったのは幸いでした。


2年ぶりに手を合わせる山南敬助の墓は。
以前と同じく、何も語ってはくれませんでしたが。
不思議と、心が清明になるのを覚えました。


以前にも書いたのですが。
光縁寺は、寺院の屋根に入っていた「丸に立ち葵」の紋章がたまたま山南の家紋と同じだった縁で住職と山南が懇意になり。
そのツテで亡くなった新撰組隊士の埋葬を引き受けたのだといいます。


それを妻に説明しつつ。
「『奇遇ですねー。私の家紋も「丸に立ち葵」なんですよ』なんて言ったのかな?」と堺雅人さんのモノマネで語ってみたのですが。
あまりの暑さにスルーアウトされてしまいました。
…無念。


★★…すみません、完結させられませんでした。もう1回だけ続けさせてください。人気blogランキング★★

*1:NHK大河ドラマなどで再三再四語られているネタですが、芹沢が最期を遂げたという部屋の鴨居には、襲撃犯による刀傷が残されています(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050918#p1)。

*2:このとき土方は、口を割らない古高に対して「逆さ吊りにして、足の甲から五寸釘を貫き、それに火のついた百目蝋燭を差す」というソーゼツな拷問を加えたといいます。