西へ!(後編)

旅行記、今回こそ完結を目指して…。


かねてから「七条油小路の現場を1度見てみたい」と思っていたので*1
車で通り過ぎることにしました(暑いので降りるのは断念)。


途中。
伊東甲子太郎が門前で絶命していたという本光寺(碑文がありました)を通り過ぎつつ。
現場へ。


…なんの変哲もない交差点でした(笑)。
当たり前か。

しかし。
以前弊ブロクで書かせていただいたとおり。
この交差点に、事件で犠牲になった伊東甲子太郎藤堂平助服部武雄、毛内有之助*2の4人の遺体は、数日間放置されていました(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20051205#p2)。
さらに、当時の人の証言によると「現場には、おびただしい数の指が落ちていた」とのことです。


今現在では何の変哲もない交差点ですが。
ここで、139年前の寒い冬の夜に悲劇が起こったのも、また紛れのない事実です。
それに思いを馳せるには…あまりに暑すぎたようです。


というわけで。
御陵衛士つながり」ということで。
伊東甲子太郎らの墓がある、戒光寺という寺へ。


自分はかつて行ったことがあったので、暑さに負けて下車を断念。
妻だけが、チャッと下車して見てきました。


伊東らの遺体は、数日間放置された後、一旦は光縁寺に葬られたのですが。
後に御陵衛士の仲間たちが、新撰組隊士が多数眠る光縁寺に葬られるのをよしとしなかったようで、住職が薩摩藩御陵衛士に対して支援を寄せていた戒光寺に改葬しました。


さて、次はどこへ行こうか…と相談している、まさにそのとき。
異変は起こりました。


あまりの暑さのため。
エアコンキンキンにきかせたはずの車内であるにもかかわらず。
妻の目の前には、あるはずのない海が広がり。
そして、自分の目の前には、あるはずのない祇園祭の山鉾が列を成していました


とりあえず。
一時観光は断念。
休憩して、冷たいものを摂取、摂取、そして摂取。


…生き返った頃には。
関東に向かって戻らなくてはならない刻限でした。
つくづく惰弱な夫婦。
ていうか、「猛暑のせい」ということにさせておいてくださいな。なにせ、体温を超えていたんですから、その日。


結果として「新撰組づくし」になってしまった今回の京都ですが。
まだまだ行ってないところはたくさんありますよ。黒谷の金戒光明寺とか。


次に京都行くのはいつのことになるのでしょうか?
「年末」だったりしそうでコワいです。


★★京都行った回数ですか? 30回超えた後は分かんなくなっちゃいましたよ。人気blogランキング★★

*1:「七条油小路の決闘」については、こちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20051118#p1)をどうぞ。

*2:「毛内監物」の名前でも知られています。