トントントンカラリと…
表題にもあるとおり。
正徳4年(1714年)の今日11月2日は、徳川綱吉の側用人として権勢を振るった柳沢吉保が世を去った日です*1。
江戸・駒込にあった隠棲地・六義園で息を引き取った吉保の遺骸は。
領地であった甲府に運ばれ。
柳沢家の菩提寺であった永慶寺に埋葬されました。
が。
享保9年(1724年)8月13日。
吉保の跡を継いだ子の吉里は、甲府から大和郡山に転封を命じられました。
その際。
吉保の遺骸は。
同じ甲斐国にある恵林寺*2へと改葬されています。
その改葬後の彼の墓の隣には。
なんと、武田信玄の墓があるのだそうです。
(ていうか「吉保を武田信玄の隣に改葬した」のが真相なんでしょうが…)
永慶寺は大和郡山へと移転され、甲府にあった元の寺は破却されたそうなのですが。
なぜに吉保の遺骸が大和郡山に改葬されず、しかも武田信玄の隣に改葬されたかは不明です。
一説によると、柳沢氏が甲斐源氏・武田氏の一門であったことにちなむともいいます*3。
余談ですが。
吉里が大和郡山に転封となったとき。
甲府から多くの家臣を連れて行ったのですが。
その1人、横田又兵衛は。
観賞用に金魚を持参したといいます。
それが始まりとなり。
幕末期には藩士の副業として、明治維新後は職禄を失った藩士や農家の副業として、金魚の養殖が盛んに行われるようになりました。
今日、大和郡山市が全国的に有名な金魚の名産地であるのには、このような由来があるのだということです*4。
★★しかし…柳沢吉保と武田信玄って、隣組で共通の話題あるのだろうか? 人気blogランキング★★
*1:久しぶりに、毎度おなじみ「太陽暦に換算すると…」いってみましょうか。西暦1714年12月8日です。
*2:山梨県甲州市。甲州市は、平成17年11月1日、塩山市、東山梨郡勝沼町、同郡大和村が合併して誕生した新市。ちなみに、恵林寺があるのは旧塩山市域です。
*3:柳沢氏は、もともとは武田氏の家臣だったようです。武田氏滅亡後にその旧臣の多くが徳川家康によって召し抱えられたときに、柳沢氏も徳川氏の家臣となったと考えられています。
*4:詳しくは、大和郡山市ホームページにある「郡山の金魚」(http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/src/history_data/h_082.html)をご参照ください。