はるか、ノスタルジィ

『F1速報PLUS F1熱狂時代〜グランプリノスタルジア1987-1993』というムックを購入しました。


…自分がF1を見始めたときにサーキットを彩っていた、綺羅星の如きドライヴァーとマシンがそこにはいました。
この7年間にチャンピオンの座を射止めた、アイルトン=セナ、アラン=プロスト、ネルソン=ピケ、ナイジェル=マンセル。脇を固める欠かせない存在だった、ゲルハルト=ベルガー、リカルド=パトレーゼ、ジャン=アレジ。そして、次代のチャンピオンとして名を成した、ミハエル=シューマッハ、ミカ=ハッキネン、デーモン=ヒルは皆この時代にデビューを果たしています。
まばゆいばかりのラインナップです。
マシンもしかり。「熱帯魚カラー」が鮮やかだったベネトンB190、完全な「失敗作」だったものの見た目だけは美しかったフェラーリF92A、なんと「聖飢魔II」がスポンサーだったブラバムBT60B*1…とF1マニアには垂涎の写真の数々が掲載されています。


しかし。
自分の心を1番打ったのは。


1993年にフジテレビでオンエアされた『F1グランプリ総集編』のオープニング・ナレーションの全文が掲載されていたことでした。

私という人間は世界でたったひとり
君という人間も世界でひとりしかいない
世の中は不思議、こうして出逢い
お互いの存在をうとましく思いながら同じ仕事をしている
僕らは千分の一秒の阿修羅かもしれない
仲良くしようにも不可能な間柄なのだ
だけど、出逢えて本当に良かったと思っている


君がいたから、僕は僕でいられたんだ
君がいたから
君がいたから……

…言うまでもなく。
アイルトン=セナとアラン=プロストに捧げるオマージュです。


翌年の1994年5月1日。
セナは、イモラの森に消えました。
前日に「親愛なるアラン、元気かい? 君がいなくて寂しいよ」という言葉を残して。


その事実を思い返しながら。
この1節(オンエア時のBGMがプロコル・ハルムの『青い影』だったのがまた情感を倍増させたんだ、これが)を読み返すと。
過ぎた日のことを思い出さずにはいられません。
あの輝いていた日々のことを。


ここからは私事ですが。


4月29日。
大阪で。
自分は、もう1度だけ、そして生涯最後になるであろう、「千分の一秒の阿修羅」を演じてきます。


そのとき。
大勢の人に。
「君がいたから」というメッセージを伝えて去れればいいな…と思っています。


最後は一部業界人向けのメッセージにて失礼しました。


★★「往復高速バス移動」なんですけどね。WCなしのバスしか取れなかった往路が不安…。人気blogランキング★★

*1:瀕死の状態だった当時のブラバムからエントリーしていたドライヴァーの1人がデーモン=ヒルだった縁で、デーモン小暮閣下が呼び掛けた「ブラバムエイド」によるものです。ピンクのノーズに「SEIKIMA-II The End of the Century」のロゴとデーモン閣下の似顔絵が入ったヴィヴィッドなマシンでしたが、1992年ハンガリーGPを最後にブラバムが撤退してしまったために姿を消してしまいました。