22年って…長いよなあ。

1晩明けました。
改めて、田中幸雄選手の栄誉を讃えたいと思います。


何がスゴいって。
「2,000本全てを日本ハムの選手として打った」ってことがスゴいと思います。
ファンとしてこれほど嬉しいことはありません。純粋な「生え抜き」の選手がほとんど存在せず*1、「日本ハム一筋」の選手生活を送った選手なんて数えるほどしかいないのですから*2


田中幸雄選手。
入団時、先輩に同姓同名の投手がいたため*3、新聞で「田中雄」と表記され、チーム内外で「コユキ」と呼ばれた頃から見てきました。
背番号だって今の6と違って37でしたし*4、それこそ「後楽園球場時代(東京ドームではなく)」を知っている数少ない選手です*5


そんな彼が。
自分がずっと応援してきたチームで、22年間コツコツと、途中怪我に泣かされながら積み上げた2,000本安打。
ファンとして、本当に誇らしく、そして感謝の念でいっぱいです。


昨年の日本一達成の際。
新庄、小笠原に次いで、彼が胴上げされようとしたとき。
「今年はあまり貢献してないから…」と彼はちょっとだけ遠慮する風だったといいます。
しかし。
長きに渡って、低迷するシーズンも少なくなかったチームを支えてきた彼が胴上げされる光景は、言葉に尽くせないものでした。


2,000本安打を達成した瞬間に。
真っ先に1塁ベースに駆け寄って、田中幸雄選手に抱きついたのが。
同じくチーム一筋に苦楽を共にして、投打で彼とチームを支え続けた金村曉だったのにも感動を覚えました。
昨年あんな「事件」を起こした彼ではありますが、やっぱりこのチームを、そして田中幸雄選手を愛してくれているんだなあ…と胸が熱くなりました。


さて。
申し訳ないのですが、ここで1つだけチームに苦言を。


昨日のエントリでも言わせていただいたとおり。
このゲーム、何が何でも勝たなくてはならなかったゲームだったと思います。
田中幸雄選手が「金字塔」を達成しても、チームが負けてしまっては「水を差されてしまったよう」です。
それだけが残念でした。いかに楽天、特に山崎武司選手が手がつけられないほど絶好調であったとしても。


今日のソフトバンク戦。
田中幸雄選手は、出場がありませんでした。
「休ませただけ」ならいいのですが、「2,000本達成」をしおにまた出場機会が減ってしまうのでは…という危惧も抱いてしまいます。


彼には、もっともっと「上」を目指してもらいたいものです。
それこそ「限界」まで。
もちろん、「日本ハム一筋」で。


その願いを込めて。
彼の記録の直近上位にいる選手を列記して、このエントリを幕としたいと思います。

第31位:新井宏昌近鉄) 2,038本
第32位:野村謙二郎(広島) 2,020本
第33位:柴田勲(巨人) 2,018本
第34位:駒田徳広(横浜) 2,006本


※所属は現役最終球団


★★背番号6を「永久欠番」にしてもいいくらいの偉大な功績だと思います。チーム的にも。人気blogランキング★★

*1:日本ハムを長年支えた選手」って、その選手生活の最晩年でよそのチームに行ってしまう例少なくないんですよね。西崎幸広投手しかり、島田誠外野手しかり。

*2:自分が知る限り…白井一幸内野手(現.ヘッドコーチ)くらいでしょうか。

*3:ちなみに、同姓同名の田中幸雄投手(背番号12。「オオユキ」と呼ばれていました)は、昭和60年6月9日のvs近鉄バファローズ戦でノーヒット・ノーランを達成していることで知られています。

*4:彼が37から6へと背番号を変更したのは平成3年のことです。ちなみに、彼の前に背番号6をつけていたのは、変則的な打撃フォームで一部マニアの間で有名だったマイク=イースラーです。長年のファンにとっては、昭和56年のリーグ制覇に貢献した柏原純一内野手のイメージが強い番号かもしれません。

*5:ていうか、現在も在籍している選手では彼1人ですよね。