「備忘録」カテゴリで書いてもいいネタなのですが…

日本史系のネタなので、当初の脳内会議結果に従って(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20071120#p1)、こちらのカテゴリで。


終戦直後に、主に学校給食における脱脂粉乳の提供などを行っていた、アメリカの日本向け支援物資「ララ物資」の「ララ」の正式名称が思い出せませんでした。


Licensed Agencies for Relief in Asia(アジア救援公認団体)」ですね。


「Licensed」の「L」。
「Agencies」の「A」。
「Relief」の「R」。
「Asia」の「A」。
それらをつなげて「LARA」というわけです。
1つめの「ラ」は「L」、2つめの「ラ」は「R」というのがミソ。


以下、Wikipediaより引用します(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A9%E7%89%A9%E8%B3%87)。

ララ物資(ららぶっし)とは、ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)の提供していた日本向けの援助物資のこと。


ララはアメリカ合衆国救済統制委員会が1946年6月に設置を認可した日系米国人の日本向け援助団体。 1946年1月22日にアメリカサンフランシスコ在住の日系人浅野七之助が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体としている。
南北アメリカ大陸在住の日系人が寄附の中心となり、主な支援物資は長期間の輸送を考慮して脱脂粉乳と衣類であった。


当時アメリカにおける対外的な慈善活動は海外事業篤志アメリカ協議会(American Counsel of Voluntary Agency for Work Abroad)が担っていたが、その対象地域は欧州のみであり日本は含まれていなかった。そのため、日本に対する援助物資輸送のために新たな援助団体を設立する必要があった。反日感情が残るなかでの「アジア救援公認団体」認可に際しては知日派のキリスト友会員の協力によるところが大きい。


なお、日本国内での物資配付にあたっては連合国軍総司令部の意向により日系人の関与について秘匿され、アメリカからの援助物資として配付された。


(中略)

  • 1946年11月30日に第一便が横浜港に到着。
  • 1946年12月24日に東京都永田町小学校において贈呈式が実施。
  • 1947年7月31日の衆議院本会議において感謝決議(救援物資の寄贈に関し亜細亜救援公認團体に対する感謝決議)がされた。

…余談ですが。
上記にある「永田町小学校」ですが。
その後千代田区立小学校として存続していましたが。
平成5年(1993年)3月、千代田区の公共施設適正配置構想の結果、麹町小学校と統合されて廃校になってしまったとのことです。


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