名前、それはアイデンティティー

帰宅後。
何気なしに本日の表題を見つめつつ、いろいろ調べものをしているうちに。
北条時宗の『宗』は、元服時に将軍であった宗尊親王の名前の1文字を拝領したものである」という事実に行き当たりました*1
なるほど。考えてみればごくごく自然な取り合わせであるものの、今まで知りませんでしたよ、この事実。後に宗尊親王連署を務めていた時宗らによって将軍の位を廃されて京に送還された*2因縁を思うと複雑です。


ところで。
1つ気づいたことがあります。


北条氏の得宗家(いわゆる嫡流筋の家系です)を継承している人物の名前を見ると。
例外なく「時」の字がその名に使われています。

  • 時政(初代執権)
  • 義時(時政の子、第2代執権)
  • 泰時(義時の子、第3代執権)
  • 時氏(泰時の子、執権就任以前に逝去)
  • 経時(時氏の子、第4代執権)
  • 時頼(時氏の子、経時の弟、第5代執権)
  • 時宗(時頼の子、第8代執権)
  • 貞時時宗の子、第8代執権)
  • 高時(貞時の子、第14代執権)

上に使われるか、下に使われるか…はともかくとして。
通し字として使用されていたことは疑いないところです。
初代執権である北条時政の父親の名前は「時家」といったようですし。


これら得宗家の本流以外の人物でも、目立つところを挙げただけでも。

  • 時房(時政の子、義時の弟、初代連署
  • 朝時(義時の子、泰時の弟)
  • 重時(義時の子、泰時の弟、第2代連署
  • 長時(重時の子、第6代執権)
  • 実時(義時の孫、泰時の弟・実泰の子、金沢文庫の創設者として有名)
  • 宣時(時房の孫、第8代連署
  • 熈時(義時の玄孫、第7代執権政村の曾孫、第12代執権)
  • 基時(重時の曾孫、長時の弟・業時の孫、第13代執権)
  • 守時(長時の曾孫、第16代執権)

とまあ、枚挙に暇がありません。


北条時宗のように「元服時に当時の将軍から名前の1文字を拝領する」という例は。
彼の父親である時頼や、その兄である経時が、第4代将軍である藤原頼経から1文字拝領したという例を見ても、珍しくなかったようです。
余談ですが、北条泰時は、元服した当時の名前は「頼時」といったようです。これは、言うまでもなく、源頼朝の「頼」を拝領したものです。建久5年(1194年)2月1日のことであったと『吾妻鏡』に記載があります。彼がいつごろ「泰時」に改名したかは不明です。


★★後北条氏の通し字は「氏」ですけどね。人気blogランキング★★

*1:正嘉元年(1257年)2月26日のことでした。

*2:文永3年(1266年)7月4日のこと。当時の執権は第7代執権である北条政村でした。