久しぶりに、ちょいと低めの日本史ネタです。

というわけでして。
下ネタ系の話が苦手な皆々様は、以下数十行後に書き始めるネタはスルー…ということでよろしくお願いします。


↓口直し代わり。

















昨日の表題「喜多川歌麿没す(文化3年・1806年)」に関連して上げようと思っていたネタを。
1日遅れでお届けします。


唐突ですが。
西洋人などがよく、日本人の男性自身、それも巨大な男性自身のことを「ウタマロ」というのは、なんでなんでしょうね?
以前から疑問に思っていました。


ところが。
最近になって。
あっさりと解決したのですよ。


喜多川歌麿は。
ご存じのとおり、美人画を得意とした浮世絵師だったのですが。
当時の有名浮世絵師の常として、いわゆる「春画」を数多く描いていました。
何しろ、現代のようにエロ本もAVもない時代のことでしたから、人々のエロを求める飽くなきリビドーは、みなこの春画なり春本なりに向けられたのです。
需要の高まりが限りないものでしたので、また絵師たちがこぞって春画を描いていく…という、いわば「エロパワーの無限連鎖講」状態と化していたのです。


さて。
今日の写真やビデオと違って、所詮は絵なわけですから。
デフォルメして描かなくては、肝心な部分が分からなくなってしまいます。


というわけで。
春画においては。
性器、特に男性器は、ありえないぐらいに誇張して描かれていました。
つまり…そのー、どいつもこいつも「NASAの打ち上げるロケット」みたいにそそり立っている状態で描かれていたのです。
(…書いててだんだんアタマ痛くなってきたな(笑))


歌麿の描いた春画の1つです。

あまりにアブナイので、縮小して、しかも肝心な部分は消したうえでアップロードさせていただきました。
女性に比べて、男性の消し部分が遥かに大きいのがお分かりいただけるかと思います。
念のために断っておきますが、自分、あくまで「必要最小限」しか消してません。


もろもろの絵師のなかで。
喜多川歌麿春画は、特に男性器が著しく大きく描かれていたらしいです。
「らしいです」というのは…他の絵師の描いたものと自分の目で比較検証するほど、自分そこまでじっくりと春画を見込んでいませんから(笑)。あくまで、ここまでの話は「伝え聞いた限りにおいて」という前置きつきでお読みいただければ幸いです(その道に詳しい方のご教示お待ちしております)。


そして。
そのような春画が、ジャポニズムによってヨーロッパに流出するに及んで。
いつしか「日本人は、ウタマロが描いたいたようにみな(後略)」と誤解されるにいたったというわけなのでしょう。
きっと…。


★★写真がない時代でよかったですね。だって実際の日本人は(後略)。人気blogランキング★★