まだまだ彼女のブーム続いてますね。

篤姫:初めて墓を一般公開…東京・台東区寛永寺」(http://mainichi.jp/photo/news/20081017k0000m040041000c.html

東京都台東区寛永寺で16日、篤姫の墓が初めて一般に公開された。NHK大河ドラマの人気もあり、20倍以上の応募者から選ばれた80人が見学した。
台東区の「上野の山文化ゾーンフェスティバル」のイベントで、「徳川歴代将軍霊廟と葵の間特別公開」と題して行われた。篤姫の墓は徳川家墓所の一番奥に十三代将軍家定と夫婦で並び、好物とされるビワの木も近くに植えられている。千葉県から来た女性は「初めて見られて感激です。篤姫は若い時にだんなさんを亡くされたけど、今は隣同士で喜んでいるでしょうね」とうれしそうに話した。
今月28日、11月20、26日も公開されるが、応募はすでに打ち切られ、その後の公開の予定はないという。【武市公孝】


(写真:初めて一般に公開された天璋院篤姫の墓(奥)=東京都台東区寛永寺で2008年10月16日午後2時48分、武市公孝撮影)

…徳川家の霊廟は。
増上寺寛永寺の2つの菩提寺に、ほぼ半数ずつ分散されています。


そのうち。
戦災で大きな被害を受けてしまった増上寺のほうは。
昭和33年から35年にかけて、墓地を改修し、改めてそちらに改葬しているので。
往時をしのぶことはできません。
(まあ…もっとも、改葬のおかげで将軍たちの遺骨の調査もなされて、いろいろな事実も明らかになったわけなのですが*1
墓域も、改葬時に相当狭くまとめられてしまったようです。


他方。
寛永寺のほうは。
自分の記憶が確かならば、基本的に「江戸時代に葬られたときのまま」であるはずです。
当然、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の遺体もまた、1度も開けられることなく眠っているはずです。


増上寺のほうは、上記のとおり「戦災」という特別な事情を受けての改葬を利用しての「調査」でしたので。
無理に寛永寺のほうの将軍家墓所を発掘する必要は全くないとは思います。
普段我々が見る機会に恵まれない「徳川家の墓所」を、こうして年に数回だけでも公開してもらえるだけでも「オンの字」なのでしょう。


…もっとも。
好奇心はありますけどね。
かつて弊ブログでも紹介させていただいた「徳川綱吉は低身長症だった!?」という仮説(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060119#p1)も、遺骨の調査ができれば1発ですしね。
あくまでも「たとえ徳川家という歴史上の人物の墓であっても、“個人の先祖の墓所”であることに変わりはないので、軽々しく安寧を妨げることがあってはならない」というのは重々承知はしているのですが。


それにしても。
家定の墓と篤姫の墓が隣合わせだったとは、この記事を読むまで知りませんでした。
増上寺にあった家茂と和宮の墓も隣合わせだったみたいですし(改葬後どうなっているかは知りませんが…)、案外「粋」なことをするものですね*2


★★来年機会があれば自分も応募してみようかな。人気blogランキング★★

*1:例の「14代将軍家茂、31本中30本の歯が虫歯」という事実も、そのときの遺骨調査で判明しています。

*2:ちなみに、同じ増上寺に葬られていた6代家宣と正室天英院の墓は、隣合わせにはなっておらず、少し離れたところに位置していたようです。これも「改葬前」のデータですが。