ちょっくら補足が必要なようなので…。

本日の表題「平民苗字必称義務令」について、追加説明させていただきます。


平民苗字必称義務令は、太政官布告です。
明治3年(1870年)9月19日にいわゆる「平民苗字許可令」と呼ばれる太政官布告が出されて以来、平民も名字*1を名乗ることができるようになったのですが、これは「できる規定」であり、強制ではありませんでした。
しかし、当時の平民は、なかなか名字を名乗りませんでした。一説によると「名字をつけたらそれだけ税金を課せられるのではないか」と警戒したのだとか…。
というわけで、平民が名字を名乗ることを「できる」としてから約4年半を経て、明治政府は「全ての国民が必ず名字を名乗る」ことを義務づけするに至ったのです。


ここで余談ですが。
江戸時代以前において、武士や公家などの正式な名前は、次の4つの部分に分かれていました。

  1. 名字
  2. 名(通称)
  3. 諱(実名)

例えば、よく知られている沖田総司の正式な名乗りは「沖田総司藤原房良」です。
「沖田」が名字、「総司」が名、「藤原」が姓、「房良」が諱です。
つまり、江戸時代以前においては「名字」と「姓」は厳然たる区別がつけられていた…ということに他なりません。今日我々はしばしば両者を混同してしまがちですが。
さらに付け加えると、諱は日常口にされることはほとんどありませんでした。古代中国由来の風習らしいのですが、主君であるとか、父親であるとか、師匠であるとかの立場の人しか声に出して発することは許されなかったのだとか。否、これらの人々ですら大抵は口にすることは憚られていたのだとか。なるほど、「諱=忌み名」というわけなんでしょうかね。


★★昨年のスクーリング時にも習った事項です。人気blogランキング★★

*1:「名字」か「苗字」か…でどうちらの表記を使うべきかかなり迷いました。一時は太政官布告の表記に合わせて「苗字」で統一しようかとも思ったのですが、今日においては「苗字」は常用外のようですので、地の文においてはあえて「名字」の表記を採用させていただくに至りました。