訃報

昨日、仕事から戻った直後に。
妻から、ミッキーくんが亡くなったという知らせを聞きました。


ちょうど数日前に「…そういえば、ミッキーくんは元気なのかな?」「あれだけ話題になったイヌだから、何かあったら報道されるはずだし、元気なんじゃないの?」と妻と話題にしていたばかりでした。
その頃、既に彼はこの世のイヌではなかったなんて…。


各スポーツ紙も、彼の訃報で持ちきりでした。


「広島球場ボール犬ミッキー死す、享年11歳」(http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090415-482981.html

広島市民球場球審にボールを運んで大人気だったボールボーイ犬のミッキー(オス・ゴールデンレトリバー)が8日午後7時15分、老衰で死んでいたことが、14日分かった。11歳だった。2日後に迫っていた新装マツダスタジアム開幕戦の10日が12歳の誕生日で、人間でいえば60歳代だった。
訓練士で飼い主の北広島町の上野智美さん(32)によると、急に食が細くなり、3月30日に点滴治療などで同町の動物病院に入院した。34キロあった体重も25キロにまで落ちた。4月8日、主治医がミッキーに「おうちに帰りたいか」とたずねると首を持ち上げたため家族に連絡。上野さんらが駆けつけると、3度首を持ち上げ元気そうにしてみせた。自宅に到着し、ミッキーを抱えたときにはすでに息がなかったという。
ミッキーは6歳のころに前の飼い主と別れ、上野さんが引き取った。人なつっこく、あまりほえることもないことから日本初の“ボール犬”に白羽の矢が立った。
デビューは05年3月12日のソフトバンクとのオープン戦。3回裏終了後、球審の「来い!」の合図にボール3球が入った竹かごをくわえホームベースへ直行した。同球審が2球を手にした時点で、焦って戻ってしまったのはご愛敬(あいきょう)で、2度目以降はしっかり仕事を果たした。背番号「111(ワンワンワン)」で、07年9月に高齢で引退した。主にミッキーの世話をしていた上野さんの母、池田喜和子さん(57)は「大往生です。元気になったら新球場周辺を散歩させたかったけどね」としんみりと話していた。


(写真:07年4月10日 広島対巨人の試合でボールかごをくわえて走るミッキー)

「ベースボール犬のミッキー逝く…半旗で哀悼の意」(http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/04/15/13.html

旧広島市民球場球審にボールを運ぶベースボール犬として人気を集めたミッキーが、8日に老衰のため死んでいたことが分かった。14日の横浜戦で球団旗を半旗にし、哀悼の意を示した。ミッキーは2005年から3シーズンにわたり、ボールが入ったかごをくわえて運んでいた。訓練士の上野智美さんは「4月10日のマツダスタジアムこけら落としの一戦が(12歳の)誕生日だった。新球場に遊びに連れて行ってあげたかった」とコメントした。


(写真:<広・巨>で吉本文弘球審にボールを届けるありし日のベースボールドッグのミッキー)

「広島の人気者、野球犬・ミッキー君死す」(http://www.sanspo.com/baseball/news/090415/bsd0904150504000-n1.htm

セ・リーグ、広島1−4横浜、1回戦、横浜1勝、14日、マツダスタジアム)広島は14日、広島市民球場球審にボールを運ぶベースボール犬として人気を集めたミッキー君が、8日に広島県内で死去したと発表した。この日の横浜1回戦(マツダスタジアム)では球団旗を半旗にして哀悼の意を示したが、試合は1−4で敗れ、たむけの白星を届けることはできなかった。


半旗が寂しそうに風に揺れていた。球審にボールを渡すベースボール犬として名をはせたミッキー君(ゴールデンレトリバー、♂)の追悼試合。ナインは勝利を報告することができなかった。
「かわいい犬だった。亡くなったことは非常に残念だ」
ブラウン監督も少し感傷的になった。06年には写真本まで発売された広島市民球場の人気者・ミッキー君が老衰のため、8日に広島県内で亡くなった。11歳だった。
球団の計らいで半旗を掲げ、一回が終わると、元気なころの姿がスクリーンに映し出された。05年3月12日のソフトバンクとのオープン戦(広島)のデビューから3年間働き、その間の勝敗は15勝7敗。ボールだけではなく白星も運んでくれた。
「勝ったボールを飼い主の方に届けることもできたのに…」とブラウン監督。それでも首位巨人に1ゲーム差の2位。この秋、優勝を天国のミッキー君に届ける。「ワン(1位)!!」と喜んでもらうために−。(長谷川稔)


(写真:広島市民球場で元気に活躍していたミッキー君。さようなら、僕らは君を忘れない。合掌)

「広島の“ボール犬”ミッキーが老衰死」(http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/baseball/npb/news/20090415-OHO1T00104.htm?from=o-photo

広島は14日、2005年から3年間、旧広島市民球場球審にボールを運ぶ球界初の「ベースボールドッグ」として活躍したミッキー(オス11歳、ゴールデンレトリバー)が、8日に老衰で死んでいたと発表した。ミッキーは背番号「111(ワンワンワン)」の広島のユニホームを着て、かごに入れたボールをくわえて運ぶ姿で人気になった。登場した試合は15勝7敗の好成績で、06年7月21日のオールスター第1戦(神宮)でも活躍した。
飼い主の訓練士・上野智美さん(32)は「4月10日の地元開幕戦が(12歳の)誕生日だった。新球場に遊びに連れて来てあげたかった」とコメントした。


(写真:ボール犬を務めたミッキー(06年7月8日の対巨人戦で))

「広島のボール犬・ミッキー逝く」(http://www.daily.co.jp/baseball/2009/04/15/0001825884.shtml

広島市民球場球審にボールを運ぶベースボール犬として人気を集めたミッキーが、老衰のため8日に亡くなっていたことが14日、明らかになった。11歳で人間の年齢に換算すると約86歳で、“登板試合”の通算成績は3年で15勝7敗。広島は14日の横浜戦(マツダ)で球団旗を半旗にするなど哀悼の意を示したが、投打ともに振るわず“追悼試合”は悔しい敗戦となった。
  ◇  ◇
あの愛くるしい姿はもう見られない。アニメ「フランダースの犬」のテーマソングが流れると誰もが胸を躍らせた。つぶらな瞳でしっぽを振り、ボールが入ったかごをくわえて球審のもとへ走る。野球ファンだけではなく、日本中に感動と癒やしを与えてくれたミッキーが、この世を去った。
広島にとっては選手と並んで球団の顔とも言える存在だった。13日にふ報を聞いた松田オーナーは「ショック。弔意を示したいし、全国にファンがいる。その人たちの気持ちも一緒に示したい」と14日の横浜戦は球団旗を半旗にして哀悼の意を示した。
愛犬家として知られ、試合前に体をなでていた嶋は「きょうは何としても勝ちたい」と意気込んでいた。一回終了後にバックスクリーンのオーロラビジョンに在りし日の姿が映し出されると、スタンドからはため息が漏れた。球団、ナイン、ファンはミッキーを追悼するために一体となったはずだった。
しかし、その思いは通じなかった。先発の大竹は6回4失点。打線も横浜投手陣を攻めあぐねた。八回無死三塁で代打・喜田の左前打で1点を返し、無死満塁までチャンスを広げながら石原、栗原、嶋のクリーンアップが凡退。ブラウン監督は「ミッキーはかわいかった。私も同じような犬を飼ったことがあるので残念だ」と悔やんだ。
誰からも愛されたミッキーだった。05年3月12日のソフトバンクとのオープン戦で、球界初のベースボール犬としてデビュー。07年まで3シーズンにわたり背番号111(ワンワンワン)のユニホームを着て活躍した。06年4月には写真集も発売され、同年のオールスター(神宮)にも出場。のちにオリックスのボールモンキー「ゴウ君」や、ロッテのボール犬「エルフちゃん」も誕生。球界の動物ブームの先駆けでもあった。
いつも元気で多くの人を和ませたミッキーでも、年齢による衰えには勝てなかった。球団は08年9月28日の広島市民球場終戦にもオファーを出していた。だが、その時点で視力が衰え、前足の状態もよくなかったため依頼を撤回。結局、07年9月11日の阪神戦が最後の“登板”となってしまった。球界に新たな風を吹き込み、天国へ旅だったミッキー。その活躍はいつまでも色あせない。


(写真:8日に亡くなっていたことが分かったベースボールドッグのミッキー)

…半旗をもって彼に弔意を示してくれた松田オーナーの気持ち。
嬉しいですね。
球団にとって彼の存在が大きかったことを示してもらえたようで。


ミッキーくんは逝ってしまいましたが。
彼が残した軌跡は、色褪せることはありません。
DVDを見れば。
いつだって、元気だった頃の彼に会えるのです。


…そう思い起こして。
今は、悲しむことなく、かあいかった彼の姿だけを偲びたいと思います。


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