七草粥は食べなかったんですけどね。

春の七草」の1つに「御形(ごぎょう)」があります。


この「御形」とは。
ハハコグサのことです。
学名を「Gnaphalium affine」という、キク科ハハコグサ属の越年草なのですが。
今回は、それにまつわる日本史的小話。


『世界大百科事典』(平凡社)の「ハハコグサ」の項に、このような記述があります。

[名称の由来]日本文徳天皇実録》の嘉祥3年(850)5月条に、〈文徳帝の祖母および父の仁明帝が相次いで亡くなられたが、この年田野に母子草が生じないという流言が民間に飛んだ。これは母子両陛下の崩御をあらかじめ告げたものである〉といった記事がみえ、明らかに母子草と書かれている。したがって、従来のハハコグサのハハコを湯子(はふこ)(室町時代以後の呼称)とする説はあたらず、また〈冠毛がハハケルから〉という説も、古くは〈ホホケル〉を〈ハハケル〉といわなかったから成り立たない。奈良時代に渡来した中国の本草書《新修本草》に〈凧辰蒿即白蒿〉とあるところから、当時の学者が〈白蒿〉(ハハコグサの誤称漢名)を〈凧辰蒿(はんはんこう)〉ともいうものと信じこみ、この草をハンハンコウと呼ぶうち、いつしかこれがハハコになり、母子草と書かれるようになったものであろう。

…補足しますと。
文中の「文徳帝の祖母」というのは、檀林皇后こと橘嘉智子のことです。
嘉祥3年(850年)5月4日に崩御しています。


橘嘉智子の実の息子であった仁明天皇は。
彼女に先立って、同年3月21日に崩御していました。


「田野に母子草が生じない」という流言が生じたことが。
母である橘嘉智子と、子である仁明天皇が相次いで崩ずることの前兆であった…というのです。


流言と崩御を結び付けるのは後付けのように思えなくもないのですが。
当時はこのテの迷信的なものもよくよく信じられていましたから。
正史である『日本文徳天皇実録』にも記載されたのでしょう。


春の七草」というと。
ついつい、このような日本史的小話を思い出してしまう自分なのです。


★★御形のほかには「ほとけのざ」もキク科ですよ。人気blogランキング★★