「音速の貴公子」というキャッチコピーも懐かしい…

今日、2010年5月1日って。
日本風に言えば、アイルトン=セナの十七回忌なんですよね。


あの、イモラの森の悲劇。
昨日のことのように鮮明に覚えているのに、もうそんなに経ってしまったのか…というのが正直なところです。


最近の若いF1ファンのなかには。
セナのことをVTRでか知らない人も少なくないんでしょうね。


正直言って。
彼の存命中、自分はあまり彼のことが好きではありませんでした。
天才にありがちの唯我独尊的な言動が嫌いだったり、絶対的に有利なマシンを利しての逃走劇が退屈だったりしたのが主な原因でした。
どちらかというと、クレヴァーな走りを見せてくれるプロスト派の自分でした(彼の政治的な側面はあまり好きにはなれませんでしたが)。


そんな彼に対する見方が変わったのは。
1993年、ウィリアムズ・ルノーに対して明らかにマシンのうえで劣勢だったマクラーレン・フォードにムチ打って、プロストと互角の戦いを演じ続けてきたセナの姿を見てからでした。
その人となりは置いておくとしても、彼が不世出の名ドライヴァーであることに違いないことだけは認めていたはずだったのに…自分の引き出しに入っていたカードからは想像もつかないような魔法のカードを次々と切ってきた彼。
ドニントン・パークで行われた雨のヨーロッパGPのオープニング・ラップにおけるゴボウ抜きは、F160年の歴史に残る名シーンだったと思います。


1994年5月1日。
イモラのタンブレロ・コーナーでクラッシュし、意識不明となってヘリコプターで運ばれていったセナ。
彼を案じながら深夜の中継を見ていたときに。
「ニュース速報」の文字が踊ったときの、身体中の血が凍るような感覚を、今でも鮮明に覚えています。
「…やはりダメだったのか」という、悔しい気持ちばかりでした。
大いなる喪失感でした。


最期の瞬間まで、正直彼のことは好きにはなれませんでした。
ただ…彼を超えるドライヴァー、そう、記録のうえではシューマッハは彼の遥か上を行く存在ではありますが、速さとか、存在感とか、そして走りから訴えかけてくるものを受け取ることができる訴求力の面においては、自分が長いこと見てきたなかでは彼を上回る存在は他にはいないのではないでしょうか。
(あえて1人だけ挙げるならば…個人的にはジル=ヴィルヌーヴぐらいですかねえ)


奇しくも。
彼が世を去った日と同日に、日本競馬界不世出の快速馬がこの世に生を受けました。
4年半後の1998年11月1日、彼もまた、己の速さに殉じて天へと駆けていってしまうわけなのですが…。
その馬の名は、サイレンススズカといいました。


今日。
娘を昼寝させていて、うたた寝をしてしまった際、久しぶりに、F1の夢を見ました。
現代のF1ではありませんでした。
セナ、プロスト、マンセル、ベルガー、パトレーゼ、アレジ、シューマッハたちが、その個を発揮しながら競い合ってた頃の、とても懐かしい光景でした。


「…そういえば、今日って命日だったっけか」と、ふとセナのことを思い出して。
ついついブログに物した次第なのです。


★★思い出してくれる存在がある限り、人は生き続けているのかもしれない…。人気blogランキング★★