ウソだと言ってよジョー!

「名レフェリーのジョー樋口さん死去、81歳」(http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20101108-699873.html

プロレスリング・ノアジョー樋口(本名・樋口寛治監査役兼GHCタイトル管理委員長が8日午前5時38分、肺腺がんのため死去した。81歳だった。
樋口氏は横浜市生まれで、少年時代から柔道に親しんだ。54年にプロレスに転向し、日本プロレスなどで選手として活躍した後、60年に引退した。63年に外国人係兼通訳として日本プロレスに復帰。72年のジャイアント馬場(故人)の全日本プロレス旗揚げに参加し、レフェリーとして活躍。日本のNWA公認レフェリーの代表的存在となり、全日本の和田京平、ノアの西永秀一らを育成した。
99年のジャイアント馬場の死去後に全日本プロレスを退社したが、00年に三沢光晴(故人)の要請を受け、ノア旗揚げに監査役として参加。その後GHCタイトル管理委員長も務め、タイトル戦の調印式、試合前の認定証を朗読するなどでファンの前に姿を見せ、大きな声援を受けていた。
通夜、告別式は遺族の意向により、親族のみで行われる。


(写真:試合の調印式が中止で会見するジョー樋口氏(10年8月11日))

…また1人「昭和のプロレス」を彩った人が逝ってしまいました。
残念です。


ジョー樋口といえば。
なんといっても誤爆でレスラーにやられる→失神」という半ばお約束の展開が有名でした。
失神してノシイカのようにノビてる彼に「樋口! 樋口!」とコールが起こった…なんてのも懐かしいです。


人格者で。
彼が世話役を務めていた外国人レスラーは、皆彼のことをリスペクトしていたとのこと。
初来日のレスラーが彼に小生意気な態度を取ると、先輩レスラーがたしなめる…なんてこともあったようです。


子供の頃。
何かの雑誌だか新聞だかの懸賞でジャンボ鶴田vsミル・マスカラス戦の生写真が当たったことがあったのですが。
一緒に映っていたジョー樋口の頭が照明の照り返しでまぶしかったのをモーレツに思い出しました。


あっちでは馬場や鶴田や三沢やブロディやゴディなどたくさん待ってるでしょうから。
どうかあっちでも「華麗に誤爆されて、何事もなかったようにムクリと起き上がる」レフェリングを見せてもらいたいものです。


思い出を込めて…合掌。


★★ハンセン、ブッチャー、デストロイヤーあたりはいつまでも元気でいてほしいなあ…。人気blogランキング★★