マイ・ワン・アンド・オンリー

大西直宏元騎手のブログに。
サニーブライアンについてのエントリがアップされていましたね(http://ohnishi.horseman-academy.jp/article/189158444.html)。

昨年1月に、師匠である中尾銑治元調教師が亡くなりました。
そして今またサニーブライアンが逝き、何ともいえない喪失感があります。


でも、正直、実感はあまり無いんですよね。
僕の心の中には今でも、いつでも、鮮やかにその姿が在る。
中尾先生の厳しく、そして誰よりも優しい眼差し。
サニーブライアンのぴかぴかと輝く馬体・・・。


思い出すと胸が温かくなる大切な人たちは、常にそばにいます。

…中尾先生も亡くなられていたのですか。
知らなかった。


彼は続けます。

僕が最後にサニーブライアンに会ったのは、2007年7月1日。


関西の競馬番組の特集で北海道に行き、当時アロースタッド種牡馬だったサニーブライアンとともに収録。
とてもやんちゃで、イタズラ好きなのは変わらなかった。
仕草や表情から、僕のことを覚えてくれていることが伝わってきました。


その年に種牡馬を引退、アエルさんで余生を過ごすことになり、それからは会っていません。
それでもファンの方が会いに行ってくださり、元気でいると聞いていたので安心していました。
とても大切にされていたようですね。

いつの日か、サニーブライアンとともに暮らすのを夢見ていました。


それが可能かはわからないけれど。
迎える環境が整ったら、所有する方にお願いして譲っていただこうと考えていた。
誰にも話していない、僕だけの夢。
いつか叶うと信じていましたが、幻となってしまいました。



サニーブライアンにかける言葉はひとつしかありません。



ありがとう。



本当に、ありがとう。






騎手として生涯に一度、到達できるかどうかの「頂(いただき)」まで導いてくれた。
馬主の宮崎氏のご理解や厩舎スタッフの努力もあり、一世一代の大勝負に勝つことができた。
生まれてきて良かった。
騎手になって本当に良かった。
いつか僕がこの世を去るときが来ても、思い残すことのない人生だったと心から言える。


それほどの想いを与えてくれたのは、サニーブライアンです。







僕はあまり非現実的なことを信じない性格です。
けれどもしも。
もしも天国というものがあるのなら。


思い切り駈けまわって、楽しく過ごしていてほしいと願う。

「いつの日か、サニーブライアンとともに暮らすのを夢見ていました」の一言は衝撃でした。
彼はそこまでサニーブライアンのことを思っていたのかと…。


もともと騎乗技術には定評があった彼ではあるのですが。
あまり社交的なタイプではないようで。
自分から積極的に騎乗馬を集めることは苦手だったとのこと。
そのため「騎乗機会が減る→勝ち鞍も減る→ますます騎乗機会が(以下繰り返し)」という負の無限ループに陥ってしまっていたらしいのです。


1996年はわずか年間8勝しか上げられず、身の振り方を考えていたという彼の生活は。
サニーブライアンによる2冠制覇を境に激変します。
騎乗回数は倍増以上*1、勝ち鞍は最高45勝(2002年)…と飛躍的に上昇しています。
それもみな、「ダービージョッキー」の肩書があったからこそなのでしょう。


あの、カルストンライトオでアッと言わされたスプリンターズステークス制覇劇は。
1997年2冠制覇の再現かと思いました。


そんな彼がサニーブライアンに語る「本当に、ありがとう」の一言。
千万の重みがあると思わずにはいられません。


大西直宏」といえば「サニーブライアン」。
そんな素敵な「1点対応」の名コンビでした。


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*1:1996年の145回に対して、1997年は265回、1998年は332回、1999年は434回、そして2001年は自身最多の499回と増加しています。