そういや、最近手書きで物書く機会ってあんまりない

今はどうだか定かでありませんが、自分の通っていたさる大学の教育学部では「国文科の学生は卒業論文ワープロ・パソコンの使用不可」というよく分かんない決まりがありました。教育学部の中で、国文科だけ、です*1。理由として最も有力だったのは「学科内で隠然たる権力を持ち続けていた某老教授が『国文科の学生たるもの、卒業論文は手書きの原稿でなくてはいかーん!』と頑なに主張し続けた」という説でした。何ゆえ彼がそう主張していたのか、全く理解できませんでした。
とにかく、書いて、書いて、書き続けました。下書き書いては消して、原稿用紙に清書して、間違えて破って書き直して…なんて実にアナログな作業していたものですから、他の学科の友人の倍時間かかりました*2。規定の「80枚以上」をなんとか滑り込みでクリアして*3、提出期限もなんとか滑り込みでクリアして、本当に綱渡りの末に仕上げたことをよく覚えています。


あれから何年が経過したでしょうか。部屋の片隅から、ひょっこり卒業論文が出てきました。
「…おーおー、そういやこいつ書くのに苦労させられたんだよ」とブーブーひとりごちながら、中を開いてみると…。
自分の手書きの卒業論文1文字1文字を目で追いかけるごとに、あの頃のことが昨日のように蘇ってきました。コタツに丸くなって、やっぱりブーブー文句言いながら、それでも必死になって1文字1文字丁寧に下書きを書き写していた、あの頃のことを。
ワープロやパソコンで仕上げた卒業論文だったら、果たしてここまで鮮明に記憶蘇ったことでしょうか。
手書きの自分の原稿、ヘタっぴーな字ではありましたが、確かにそこには温かみが存在していました。
心を揺り動かす何かが、確かに存在していました。
あの老教授が「手書きの卒業論文」にこだわり続けたわけが、今さらではありますが、なんとなくほんの少しだけ分かるような気がしてきました。


それでも大学で日本史専攻したかったような気もします。人気blogランキング

*1:ちなみに、同じ大学に併設されている文学部の日本文学専修では全くそんな決まりなかったとのこと。

*2:しかも、その作成期間中に「サークルでクイズ大会を主催する」なんてこともした。卒論作成と並行してクイズの問題作り。大会の本番は卒論提出期限の5日前。…気がふれていたとしか思えない(笑)。

*3:「81枚目の途中で本文が終了し、その後2枚ほど『参考文献』の羅列で間をつなぐ」という、かなりインチキくさいクリアの仕方ではあった。