マルベル堂では到底手に入らないかと

今回の主人公は、江藤新平です。肥前佐賀藩士として生まれ、維新政府では司法卿として日本の裁判・司法制度の整備にその才能を発揮しました。しかし、西郷隆盛征韓論を支持して下野。故郷の佐賀に戻り、「佐賀の乱」と呼ばれる反乱の首謀者となったものの、鎮圧され、処刑されたことで知られています。
とまあ、ここまでは高校の日本史とかでも学ぶお話。
江藤新平が受けた判決は「除族の末、梟首」でした。「除族」とは「士族の身分を剥奪すること」、つまり「武士出身であったことを否定された」ことに他なりません。そして、「梟首」とは「さらし首」のこと。刑罰としてのさらし首は明治に入ってから激減したそうですが*1、大規模な反乱の首魁ということで、江藤新平にはこの刑が適用されることとなりました。
しかも! 刑の執行後、さらし首となった江藤の写真は、ブロマイドとなって日本各地で販売されたというから驚きです。これについては「江藤の政的だった大久保利通が販売を黙認していた」というもっぱらの噂です*2
江藤は、自分が整備した司法制度にのっとって、東京で正答な裁判を受けられると思っていたらしいです。ところが、大久保は、佐賀に臨時裁判所を設置させ、わずかな審議のみで江藤に数日のうちに梟首の判決を下しました。このとき江藤に梟首を言い渡した裁判長は、江藤が司法卿時代に何かと目をかけていた河野敏鎌。あまりにも皮肉なめぐり合わせでした。判決の瞬間、江藤は「裁判長! 私は…」と何かを訴えようとしたものの、すぐに引き立てられ、その日のうちに首を刎ねられたとのことです。


ここからは私のお話。
私の蔵書の1つに『【決定版】図説・幕末志士199』(学研)という本があります。幕末期に活躍した様々な人物について、写真や図説で紹介している本です。
そのなかに…載ってるんですよ、「江藤新平のさらし首写真」が。
興味本位で見ることはあまりお勧めしません。瞑目し、口を半開きにしているその表情からは、無念の思いをひしひしと感じ取ることができます。何かをなそうとして、果たせなかった男の表情です。武力蜂起は決して正当化されるべきではないんでしょうけど、それでも自分の信ずるところに従って、そして散っていった人物には、ある種のシンパシーを感じずにはいられません。


三島由紀夫のは見たことないです。人気blogランキング

*1:もっとも、「さらし首をやめた」だけで、当時「死刑」といえば斬首刑が普通でした。斬首刑が廃止になって死刑が絞首刑のみとなったのは、明治13年1880年)のことです。

*2:司馬遼太郎の『跳ぶが如く』にもそれに近い記述があります。大久保と江藤はもともとそりが合わなかったようで、江藤判決の日、大久保は日記に「江藤醜体笑止なり」と書き残しています。