いくら何でも、この扱いはいかがなものかと…

お待たせしました(←待ってない?(笑))。ようやっと「日本史」カテゴリの更新です。前回(前々回だったかな?)お話した「古墳ランキングベスト10」(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050614#p2)に登場する、この古墳のお話です。


日本では6番目、奈良県内では最も大きな古墳である「見瀬丸山古墳」。その横穴式石室は高さ3.9m以上、長さ8.3m以上と推定され、あの石舞台古墳をしのいで日本の古墳では最も大きいと言われている古墳です。以前から「欽明天皇陵では…」との説もあり、「畝傍陵墓参考地」として指定されていましたが、平成3年に玄室内に2基の石棺が安置されていることが確認され、欽明天皇とその妃「蘇我堅塩媛(きたしひめ)」のものであるという見方が俄然強まってきました*1
その見瀬丸山古墳ですが…。これがもう、紆余曲折を経て今日に至っている古墳なのですよ。
この古墳、江戸時代には「前方部は畑として耕作されていた」らしいのです。理由は至極簡単。「円墳だとカン違いされていた」から。後円部のごくごく一部だけが古墳として認識されていたらしいのです。あまりにデカすぎたがゆえの悲劇であるといえましょう。
悲劇は続きます。現在のこの古墳、前方部の一部を「国道169号線が貫通して」います。古墳を国道が、ですよ。ありえません。天皇陵かもしれない古墳を国道が、ですよ。

図示すると↑こんな感じです。
(図は「さんぽ人」さんの「大阪市内さんぽガイド」というサイトの「地図で「さんぽ」する:大阪城は、巨大前方後円墳の上に建っている!?(後編)」(http://www.office-may.net/sampo/chizuron/osakajyo2.html)に掲載されていた図があまりにかわいかったので、そちらを使用させていただきました。ここに記して謝意を明らかにさせていただく次第です)
いかにこの古墳が迫害を受け続けてきたかがお分かりいただけるかと思います。ホントに「かわいそうな見瀬丸山古墳」です。
しかし、遠い未来にこの古墳が「欽明天皇陵」であることが確実とされたとき…国道169号線はどうするんでしょうね? やっぱ迂回?


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*1:ちなみに、現在宮内庁によって欽明天皇陵に治定されているのは、奈良県高市郡明日香村大字平田にある「平田梅山古墳」。ここいらへんの部分が「天皇陵」に関する最大のダークサイドなのですが…これ以上は申しますまい。