名前、それは燃える命
「弘文天皇? 聞いたことないな」と思われた皆さん。
「大友皇子」ならピンと来ますか?
天智天皇の皇太子でありながら、壬申の乱で叔父の大海人皇子と戦い、敗れて世を去った、悲劇の人物です。
この大友皇子。
『日本書紀』では即位を認めていませんでしたが。
明治3年の太政官布告で、正式に歴代天皇として、天智天皇と天武天皇の間にカウントされることとなりました*1。
「弘文天皇」は、その際に贈られた諡です。
…とはいっても、よほどの日本史マニアでない限り、「弘文天皇? Who?」って感じなんでしょうね。
この弘文天皇。
歴代天皇のなかで、文献上確認できる限りはただ1人の「首を斬られた」天皇であります。
他にも、暗殺された安康天皇や崇峻天皇も可能性なくはないんですが、ハッキリと記されているのは弘文天皇ただ1人です。
壬申の乱で敗れた弘文天皇は、672年の今日7月23日*2、「山前(やまさき)*3に隠れて自ら縊(くび)る」と『日本書紀』にあるように、自らの命を絶ちました。享年25歳であったといいます。
そして。
3日後の26日の記述によれば、不破の行宮にあった大海人皇子のもとに、大友皇子の首級が届けられたとあります。
縊死後に首を斬られたのがせめてもの…ではありますが。
なんかせつないですね。
ちなみに私、かつてフラッと関西に赴いた際に、大津市にある弘文天皇陵を訪ねたことあります。
大津の市街地のなかにある長等山*4。
そのほとりにある、とても静かな場所でした。
もちろん、実際にここに彼が眠っている確証なんてないんですけど。
こんな静かな場所に眠っているんだったらいいよな…と思わせる、とてもいいところだったのを覚えています。