↓これだけじゃ申し訳ないので(刀狩令について)

箇条書きのメモ程度ではありますが、いくつか刀狩令についての豆知識をば。

  • 豊臣秀吉より以前、柴田勝家も、天正4年(1576年)越前の一向一揆鎮圧に際して百姓の武器を没収した例があるらしい。
  • 豊臣秀吉は、天正13年(1585年)、紀伊根来・雑賀一揆を攻略した際、一揆参加者から武器を取り上げ、以後は農業に専念するように命じている。
  • 「諸国百姓、刀、脇指、弓、やり、てつはう*1、其外武具のたぐひ所持候事、堅く御停止候」で始まる天正16年(1588年)7月8日発布の刀狩令の出典は『小早川家文書』
  • 豊臣秀吉は、「取り上げた刀、脇指などを大仏建立の釘やかすがいとして使う」*2と言っていた。この大仏とは、天正14年(1586年)春に秀吉が建立を思い立った京都・方広寺の大仏のこと。
  • 奈良・興福寺の多聞院の僧侶、英俊は、その日記『多聞院日記』のなかで「現当ノ方便ト仰付けられ了(おわんぬ)と云々。内証は一揆停止の為也と沙汰之在り」と鋭い見方をしている。


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*1:鉄砲のこと。

*2:『小早川家文書』の原文では「右取(とり)をかるべき刀、脇指、ついえにさせらるべき儀にあらず候の間、今度大仏御建立の釘、かすかひに仰せ付けらるべし。」とある。