これも「若さゆえのあやまち」と言えるのだろうか…

今回の主人公は、第87代天皇である四条天皇です。


そもそも、誕生した直後から異例ずくめの天皇でした。寛喜3年(1231年)2月12日誕生、同年10月28日立太子、ですから。生後わずか8か月の赤ん坊が皇太子、ですよ。過去にもさほど例がなかったことでした*1
践祚したのは翌貞永元年(1232年)10月4日。数えで2歳、満で言ったら1歳7か月あまりの天皇でした。当然のことながら、実際に何1つとして政務をみたわけではありません。父の後堀河上皇院政をとり*2、外祖父九条道家が後見人として実権を握っていました*3
まあ、実際にナニするわけではなかったのですが、幼い天皇はすくすくと成長し、12歳となりました。
そんなある日。
仁治3年(1242年)の正月某日。
悲劇は起こりました。


天皇とは言っても、数えで12歳、満で言えば10歳と10か月です。今日の学年で言えば小学5年生ですよ。そりゃもう、遊びたい盛り、やんちゃ盛りだったことでしょう。
この天皇、御所の廊下に滑石の粉をバラ撒き、女官が滑って転ぶのを見て楽しんでいたらしいのですが。
…誤って自分自身がそれに滑って転んでしまい。
頭を打って、打ち所が悪く。
なんと、そのまま崩御となってしまいました*4


無邪気な遊びのつもりが、命を失うハメになってしまったのです。
なんとまあ、かわいそうなこと。


宮内庁所蔵の「天子摂関御影」に描かれている四条天皇肖像画を見ると、ホントに「…ただのお子ちゃまじゃん」という感想を禁じえません。
それだけに、不慮の最期がいたましく思えてならないところです。


余談ですが。
この四条天皇鎌倉時代前期に戒律復興を実現させた僧侶「俊芿*5」の生まれ変わりであると信じられていたことから、崩御した後には俊芿が創建した泉涌寺で大葬の礼が行われ、寺に隣接した場所に造られた陵墓「月輪陵」に葬られました。
この月輪陵には、後水尾天皇以下、江戸時代歴代の天皇も代々葬られています。


気の毒すぎて「…坊やだからさ」などとはとても言えない。人気blogランキング

*1:ここらへん、最初にアップロードしたときには多少曖昧な言い方をしてしまっていたのですが、気になったのでキチンと調べました。第76代近衛天皇が生後3か月で立太子(保延5年(1139年)5月18日誕生、同年8月17日立太子)した例がありました。ちなみに、この天皇も、数え3歳、満で2歳6か月という若さで践祚しましたが(永治元年(1141年)12月7日)、久寿2年(1155年)7月23日、わずか17歳の若さで崩御しています。(再追加)第81代安徳天皇は、治承2年(1178年)11月12日誕生、同年12月15日立太子…と生後わずか1か月で皇太子となっています。生後30日ちょっと、ですよ! ここまでくるとなんともはや…。ちなみに、その他にも、満1歳に満たないうちに皇太子となった例はいくつか見つけることができました。異例な事態ではあったようですが、全く例を見なかったわけではない…ということみたいです。失礼しました。

*2:父帝である後堀河上皇は、しかし翌々年文暦元年(1234年)8月6日、23歳の若さで崩御します。

*3:天皇即位と同時に実際に摂政に就任したのは道家の長男である教実でした。しかし、嘉禎元年(1235年)3月28日、教実もまたわずか25歳の若さで急逝し、道家摂政に就任しました。

*4:実際に崩御したのは、仁治3年(1242年)1月9日のことです。

*5:環境依存文字。正しくは【くさかんむり+(にんべん+乃)】という字を書きます。