誠の名に集いし遠い日(5)

…気がついたらこのシリーズも今回で最終回となりました。「日本史」カテゴリで問題出題するの初めての経験だったのですが、日本史フリークの方には簡単すぎ、それ以外の方には難しすぎたのではないかな…とちょっぴり不安を抱えつつ、前回出題した問題の正解発表にいきたいと思います。
問題は↓こちら。

文久3年(1863年)12月27日の出来事です。新撰組の屯所になっていた八木家で翌年正月のモチつきを行うことになって、新撰組の隊士たちも手伝っていました。
そこに、副長助勤を務めていた安藤早太郎が駆けつけて、彼も手伝いに参加したのですが、横から林信太郎という別の隊士が、八木家の当主である八木源之丞に笑いながら「八木さん、安藤はよく手を洗いましたか」と聞いたそうです。
その理由は何だったでしょう?

正解は…「安藤が直前に切腹介錯を務めたばかりだったから」です。


以前「芹沢鴨暗殺」について書いたときに、脚注で「水戸派唯一の生き残りとして隊に残った(理由は不明)副長助勤の野口健司も、この年の12月27日に切腹させられています」と書いたのですが(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20050918)、そのときに野口の介錯を務めたのがまさに安藤早太郎その人でした。


このときの詳しい様子が紹介されているのは、子母澤寛の『新選組異聞』です。当時少年だった八木家の次男為三郎の談話という体で、次のように記されています。

この日は恰度私の家では前夜から餅つきをやって大さわぎをしていました。まだお昼前でしたが、そこへひょっこり、
「やってるな、やってるな」
といって、安藤早太郎という者が入って来ました。


(中略)


女中が、
「安藤さん手伝って下さい」
というと、
「ようし来た、拙者は親類に餅屋があって、そこへ居候をして、餅の合取りを半年やらされた、うまいもんだぞ」
といって、木綿のごちごちした羽織を脱ぐとそのまま袴の股立をとって臼の前へ立ち、頻りに下男のつく杵の下で餅の合取りをやっていました。


暫くすると、またひょっこり伍長の林信太郎がやって来ました。


(中略)


さて、林が、安藤の合取りしている顔を見るとすぐ、
「これア大変な男だ、驚いた奴だな」
といって、くすくす笑い乍ら、傍らにいた私の父へ、
「八木さん、安藤は手をよく洗いましたか」
というのです。
父は笑い乍ら、
「怪しいもんですよ、−どうしたんですかね」
ときくと、林は頻りに安藤を指さして、
「この男がね、今、野口さんの介錯をしましてね。後ろに立っていてばさりッとやると、刀を渡してすぐにすうーと何処かへ消えて無くなったんですよ。何処へ行ったんだろうと思っていたら、もうこんなところへ来てこんな事をやっているんです。おどろいた男です」
と本当に驚いたようにして笑うのです。
父をはじめ私共一同「へーえ」といって、実は肝をつぶしました。
野口健司さんが切腹したんですか? 何処でです?」
「屯所ですよ、安藤が介錯でした。さすが野口さんだ、御立派な最後でしたが、こんな顔をしているが、この安藤の腕も大したものですよ」
「野口さんは何んで切腹したんです」
「さァ……」
これだけいって林も黙って終いました。
一臼つき上げると、安藤も、のさのさ父の傍へやって来て、
「林、余計な事をいうな、折角忘れているものを−よ、ね八木さん、昨日まで同じ鍋の飯を食っていた先輩を斬るんですから、何んぼわれわれでもいい気持はしませんよ」
こんな事をいって、それッ切り、暫くみんな黙って終いました。


後で、父のいうには、芹沢派没落の関係で、水戸系統の野口健司も、何にか詰まらない事から詰腹を切らされるような事になったのだろうとの事でしたが、林も安藤も、本当に、その切腹の理由は、はっきり知らないようでした。

…しかし「介錯直後にモチつきの手伝い」って。神経スゴすぎ。やはり新撰組隊士はこれぐらいじゃないと務まらないんでしょうかね。そりゃ「手を洗ったかどうか」は気になるでしょうよ、周りとしては(笑)。


安藤早太郎は、後に池田屋事件の際に重傷を負い、1か月半後の元治元年(1864年)7月22日に養生の甲斐なく他界します。壬生寺にある共同墓地に葬られた安藤は、奇しくも半年前に自らが首を打ち落とした野口と並んでその名を墓碑に刻んでいます。


ちなみに、合宿の際に私がうっかり口を滑らしてしまった「最後に行われたって聞いたのは35年前かな」っていうのは、言うまでもなく「三島由紀夫自決」の際に森田必勝が介錯行ったってエピソードのことです*1。Chattertonさん曰く、「多分そうじゃないかなあと思っていたけど、これで確定した」とのこと。


…いかがだったでしょうか。今後もごくごくたまーにこんな感じで問題出題することあるかもしれませんが、その際はまたお付き合いいただければ幸いです。


介錯って「首の皮1枚残して切る」のが最も巧いやり方なのだそうです。人気blogランキング

*1:もっとも、実際のところは「森田は3度三島の介錯を仕損じ、古賀浩靖が代わって三島の首を打ち落とした」らしいです。なお、森田は直後に自身も切腹を果たしていますが、介錯は古賀が行ったとのことです。