ちょっと古いニュースですが…

「日本初の世界地図!シーボルト事件招いた“原図”発見」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051024-00000306-yom-soci)。

江戸時代末期に作られた日本初の近代的世界地図「新訂万国全図」の元になったイギリスの古地図が東京都内で発見された。

シーボルト事件のきっかけになったとも言われる地図で、幕末外交史の一面を明らかにする史料として注目される。

見つかったのは、イギリスの地図作製者アーロン・アロースミスが1800年ごろに作った縦約1・3メートル、横約2メートルの銅版画の世界地図。武蔵野市の内科医、二宮陸雄さん(76)が昨年11月に古書店で入手した。

1810年(文化7年)に幕府天文方、高橋景保(かげやす)が完成させた「万国全図」は、ロシア船の蝦夷地(えぞち=北海道)来航に危機感を強めた江戸幕府が高橋に命じて作らせた、初の近代的測量技術による世界地図。その際、高橋はアロースミスの地図を参考にしたとされるが、これまで具体的には特定されていなかった。

今回、二宮さんが入手した地図と「万国全図」を比較したところ、オホーツク海の湾の名前や、千島列島の島の形状など多くの一致点があり、「万国全図」がこの地図を参照したことが分かった。

当時、樺太(サハリン)については「2島説」や「半島説」もあったが、高橋は現地に派遣した間宮林蔵の調査結果と、アロースミスの地図を元に「1島説」を採用。しかし、高橋は「万国全図」の完成後も、樺太の形状について確信をもてず、オランダ商館医シーボルトが所有していたロシア人の樺太地図を譲り受ける代わりに、国禁の日本地図などを渡したため、「シーボルト事件」に発展した。

北海道大スラブ研究センターの秋月俊幸研究員(日本北辺地図学史)は、「もう国内にはないと考えられていただけに驚き」と話している。


…驚愕しました。
就業時間終了直後に上司の携帯経由で仕入れたニュースだったのですが*1、職場にいるのに大興奮してしまいましたよ。「これは日本史界的に大発見なんですよ!」と力説してしまったりなんかして。嗚呼、日本史マニア。


高橋景保は、いわゆる「シーボルト事件」の際、シーボルトに日本地図を寄贈したのを咎められて牢につながれ、そのまま獄死しました。しかし、遺体は塩漬けにされ、後に改めて死刑の判決を受けて、遺体に対して刑が執行されたとのことです*2
この「塩漬け」については、蔵書ひっくり返したら詳しく説明が書いてある本を見つけたので、またいずれ日を改めて。


こういう「歴史が塗り変わる」発見はワクワクしますよね。人気blogランキング

*1:それもどうなんだうちの職場(笑)。

*2:このパターンは、後に大塩平八郎とその息子格之進が自害した際にも行われています。