そんな領収書イヤだ。

すみません。もろもろの事情で1日遅れになってしまいました。
お約束の「アレについて」です。


元禄15年(1702年)12月14日。
歴史に名高い、赤穂四十七士の吉良邸討ち入りが行われました。
吉良上野介に一番槍をつけたのは間十次郎、次いで二の太刀をつけたのは武林唯七といわれています。その栄誉を称え、既に絶命していたという上野介の首は間十次郎が打ち落とし、泉岳寺浅野内匠頭墓前に首級を供えるときにもこの両名が大石内蔵助らを差し置いて1番、2番に焼香を行うことを許されたといいます。


さて。
泉岳寺で墓前に備えられた後、上野介の首級はどうなったのでしょうか?


吉良家サイドの奔走により、泉岳寺より返還されたのですが。
泉岳寺の僧侶が「領収書をよこせ」と要求したのだとか。
それにより。
上野介の首を受け取った家老の左右田孫兵衛、斎藤宮内の2人は、「一、首一つ、一、紙包二つ、右の通り、たしかに受取申し候」と異例の「首の領収書」を泉岳寺の僧侶に提出したそうです。
この領収書は、現在でも泉岳寺に保管されています。


上野介の首は、その後、かつて松の廊下の刃傷の際に彼の治療を担当した医師栗崎道有によって、胴体と縫い合わされたうえで埋葬されたとのことです。


宛名は「上様」ではなかったはず。人気blogランキング