これぞ本当の「スワンソング」

前回書いた日本武尊と美夜受比売についての逸話の続編です。


傷つき疲れた日本武尊が、故郷をしのんで詠んだチョー有名な歌があります。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭し美(うるは)し

現代も広く伝えられているこの歌に、続編3首があるのをご存知でしょうか?

命の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子

「命が無事である人は、平群山の大きな樫の葉をかんざしにして挿しなさい」という意味の歌です。
平群山」が出てきている、ということで、前の歌と並んで故郷である大和を偲んだ歌です。『古事記』本文中にも「此の歌は国思歌(くにしのびうた)なり」とあります。


歌は続きます。

愛(は)しけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居立ち来も

「懐かしい。わが家のほうから雲が立ち起こってくるよ」という意味の歌です。「五七七」の形式で「片歌」という形式の歌です。「五七七五七七」の旋頭歌の半分であることから片歌というのだといいます。
この歌を歌い終わると、尊の容態は急変します。そして、尊が最後の力を振り絞って詠んだのが、この歌です。

嬢子(おとめ)の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや

「乙女の床の辺りに私が置いてきた剣の太刀。その太刀はなあ…」、尊はここまで詠み上げたところで息絶えました。
言うまでもなく、「嬢子の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀」とは「草薙剣」、「嬢子」とは美夜受比売のことです。草薙剣を美夜受比売のもとに置いてきてしまったがゆえに己の運命が傾き、遂には生命の火が消えようとしているその瞬間、尊の脳裏に浮かんだのは…美夜受比売の姿だったのではないでしょうか。短くも美しく燃えたあの秘め事、結果としてそれがなければこうして非業の最期を遂げなかったかもしれない、でも、決して尊は後悔していなかったのではないか、そう思えてならないのです。
死後白鳥に姿を変えた尊は、伊勢から河内へと飛び立ち、さらにそこからいずこへかと飛び去っていってしまったとのことです。白鳥になった尊がどこに向かったかは定かではありませんが、個人的には尾張にも立ち寄っていたと信じたいところです。


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