天に代わってオシオキよ!

新選組!』の影響でしょうか。ここ1、2年、私の中の日本史系書物の時代別読書比率がやけに幕末期に偏りつつあります。それらの書物の数々を読み進めていくにつれて、やはり幕末というのは特殊な時代だったのだな…と思わずにはいられません。いいとか悪いとか、そういう論点ではなくて。日本中に、なんというか…異様にエネルギーが満ち溢れていて、飽和状態を迎えていた、そんな時代だったのだと思います。尊皇派も、佐幕派も(除く一部のボンクラ幕閣)、己の信ずるところに従い、生き、剣を振るい斬り結び、そして散っていったのではないでしょうか。ただ、信ずるところ、心の拠り所とするところが違っただけで。言ってみれば、ベクトルは違えどもスカラーは同じぐらい大きかった…ってところでしょうか。
そんな幕末期、よく耳にした言葉の1つに、「天誅」があります。文字通り「天に代わって奸物を誅伐する」という意味から生まれた言葉です。幕末期において、暗殺は非道なことではありませんでした。「天の意思である」として、己の信ずるところに従い、立場を異にする人物を「奸物」の名のもとに「誅伐」していたのです。「天誅」が日常茶飯事になるまで、さほど時間を要しなかったことでしょう。
この「天誅」においては、ただ相手を殺害するだけでは何の意味も成しませんでした。誅伐した相手の首を斬り、その首を人目につくところに晒すことによって初めて「天誅」は完成するのです。そのため、晒された首にはその者の罪状(と天誅を加えた人間が信じていること)を並べ立てた罪状書の捨て札とともに晒されるのが常でした。行う人間にとってみれば「天誅」が単なる殺人行為そのものではなかったということは、このことからも自明です。
で、前置き非常に長くなりましたが、最近読んだ面白い本。
『幕末天誅斬奸録』(菊地明:新人物往来社
幕末天誅斬奸録


文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)にかけて「天誅」の名のもとに殺害された人物をまとめた書物です。尊皇派に殺害された者、はたまた新撰組などの佐幕派に殺害された者、様々です。その罪状書を1つ1つ読んでいくごとに、当時の人々の激しい息吹きが聞こえ、そして血煙の臭いが立ち込めていくような、そんな佳作です。
圧巻なのは、全編に100近くに及ぶ「梟首図」が引用されていること。つまり…晒し首のオンパレードなんですよ、この書物。リアルに天誅の息吹きを感じてしまった私は、興味深く読みながらもゾクッとするものを何度か感じずにはいられませんでした。
天誅」と言ってもそれは殺す側の論理であり、結局は「暗殺」に違いはありません。以前にも語ったことありますが、いかなる理由があろうと暗殺は正当化されるべきではありません。ただ、繰り返しになりますが、当時の日本は「そういうエネルギーが充満していた中にあった国だった」のでしょう。そこに「自分の信ずる方向に世の中を変えていこう」としたり、あるいは「守っていこう」とした人々の、殉教者にも似たパワーを感じずにはいられないから、今日に至るまで幕末という時代に魅了される人々が少なくないのかもしれません。そう思えてならないのです。


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