山椒?

さて、ずっと遅れていた徳川綱吉ネタです。


「生類憐みの令」を発布し、「犬公方」と呼ばれた綱吉。学問を愛し、実母の桂昌院によく孝養を尽くした反面、かなり偏執的な性分だったようで、言い出したら聞かないところのある人だったみたいです。


この綱吉。
『大奥』の最新シリーズでは谷原章介さんが演じていました。
私はドラマ見ていなかったのですが、なかなかの優男っぷりだったみたいです。
よく知られている肖像画は↓これ。なるほど、利発そうではあるものの、なかなかガンコな面もありそうなことが窺える表情です。


ところで。
最近読んだ本『徳川将軍家十五代のカルテ』(篠田達明:新潮社)のなかに。
徳川将軍家十五代のカルテ (新潮新書)
驚くべき新事実が記されていました。


愛知県岡崎市大樹寺という寺院があります。この寺院、徳川家康の5代前の祖先に当たる松平親忠が創建した浄土宗の寺院で、松平家・徳川家代々の菩提寺を務めてきた古刹です。
その寺院には、徳川歴代将軍代々の等身大の位牌が安置されています。将軍が世を去ると、すぐさま遺骸の身長を測定し、それと同じ(多少の誤差はあったでしょうが)丈の位牌を作成し収めていたのだそうです。
戦後、増上寺の徳川家墓所を改修する際に遺骨の測定をした結果、2代秀忠、6代家宣、9代家重、12代家慶、14代家茂のいずれの将軍の身長も、大樹寺に安置されている位牌と5cmと誤差はありませんでした。以上のことから、この位牌が「等身大である」というのはほぼ間違いないと見てよいかと思います。


で。
綱吉の位牌ですが。


124.0cmしかないんですよ。
数え年8歳で夭逝した7代家継の位牌135.0cmをも下回っているという。


前述の『徳川将軍家十五代のカルテ』で、著者の篠田達明さんは次のように語っていられます。

綱吉は犬公方と呼ばれて人々を苦しめたから、亡くなったとたん、計測係がこのときとばかり身長を好い加減に計ったのかとわたしは勘ぐった。だが位牌は幕府が公式に製作して三河まで運ぶものであって、そんな非礼はできるはずもない。父家光の身長は位牌によると百五十七センチ、母桂昌院のそれは遺体の実測値で百四十六・八センチである。江戸時代の男女としては標準的寸法である。その両親から生まれた綱吉の背丈が小学二年生ぐらいしかないのは低身長症と断じてもよいだろう。
低身長症の原因には内分泌異常、骨系統疾患、栄養不足、愛情遮断性小人症などさまざまなものがある。綱吉の肖像画をみると均整のとれたからだつきをしており、特別な症状はみとめられない。したがって突発的(原因のはっきりしないとき医者はこういう便利な用語を使う)あるいは生長ホルモン分泌異常による低身長症と思われる。


…これまでの綱吉のイメージを根底から覆す記述でした。
徳川15代将軍のなかでも1、2を争う個性の強さで、元禄時代をパワー全開で駆け抜けたような印象の綱吉が。
小学生ぐらいのプチ将軍だったなんて。


綱吉は、数え年64歳で迎えた宝永6年(1709年)の正月、麻疹に罹ります。そして、療養中の1月10日、用便を済ませた直後に突然意識不明となり、あっけなくこの世を去ります。一説によると、麻疹で衰弱したために、用便の最中力んで直前に食べた餅をもどし、それをのどにつまらせて窒息死したのだといいます。老人の麻疹は全快まできわめて長期間を要すると言われていますが、麻疹による全身衰弱の結果嚥下障害を起こしたのでしょうか。プチ将軍の命を奪った疾患が「麻疹」、なんとも皮肉です。



次に綱吉を演じるの誰がいいのかなあ。えなりかずき? 人気blogランキング