山南と土方
ようやっと山南編の続編です。
あと2回で終わりの予定なのですが…急がないと、5月11日がやってきてしまいますので*1、早く完結させる方向で。そうでないと「新撰組三昧」になってしまいます、このカテゴリ。そういえば「赤穂浪士編」ってどこいっちゃったんでしょうね?(笑)*2
ここまでいろいろ「山南脱走の原因とは?」と題して語ってきましたが。
それを一旦置いといて。
ここで語りたいことがあります。
「山南敬助と土方歳三は、本当に不和だったのか?」という点についてです。
不和だったという説の拠り所となるのは。
何度も紹介した子母澤寛の「新選組三部作」。
その第3作目『新選組物語』にある。
山南の切腹の直前、障子をがらりと開けた土方に対して山南が言った「おお、やって来たか九尾の狐……」という一言です。
この言葉が独り歩きして。
「山南敬助は、土方歳三のことを恨んでいた」というのが定説になっていました。
かの名作、司馬遼太郎の『燃えよ剣』も、子母澤の著作をかなりの部分で参考にしているとみえて、「土方と山南はうまくいっていなかった」という描き方が随所でなされています。
しかし。
どうにも個人的にはしっくりきませんでした。
何度も言ったとおり「子母澤寛の著述にはフィクションが多く含まれている」というのもあるのですが。
それ以前に。
前にも述べたとおり、山南脱走の原因を「土方との対立」に求められなかったからです*3。
山南が土方に対してマイナス感情を抱いていたとするならば。
それはある種「嫉妬」に近い感情だったのではないでしょうか。
副長として隊の中枢に位置する土方に対して、「名ばかりの総長」として何もなすことのできない自分の立場に苛立つがゆえに、ジェラシーの念を持つ…という図式です。
また。
土方が山南を嫌う原因も。
ハッキリしたものはないはずです。
後の伊東甲子太郎のように明確に「反幕」の姿勢を明らかにし、新撰組を割るようなマネをしたのならいざ知らず。
「名ばかりの総長」を積極的に排除しなければならなかった理由など、彼にはなかったはずです。
土方は、多くの隊士に切腹を命じてきた血なまぐさいイメージゆえ、どうしても誤解されることの多いキャラクターですが。
そんなに心の底まで「冷酷非情」だったとは思えません。
若干私情の入った論ではありますが。
土方が山南のことを嫌いではなかったという証拠として。
引き合いに出されるものが1つあります。
漫画『風光る』や小説『新選組藤堂平助』の中で引き合いに出されている。
土方が詠んだといわれる「水の北 山の南や 春の月」の俳句です。
「水の北」は、山南の出身地である仙台を表したもの。
そして、「山の南」は、言うまでもなく、山南本人の名前を織り込んだものです。
そして、「春の月」という結句は。
『風光る』でも紹介されていたとおり、土方が最も好んでその句に使用していた言葉です。
嫌いだった人間に対して。
このように句を詠むことができるでしょうか?
ただ。
個人的な感情はどうあれ。
「新撰組副長」としての土方は。
隊規違反を犯した人間は冷徹に処断せざるをえなかったことでしょう。
そこに、感情の入り込む余地などなかったはずです。
土方歳三が「鬼の副長」と呼ばれた所以です。
それがゆえに今日まで「土方は非情で冷酷だ」と誤解を生じるに至っているのだとしたら。
副長というのは、哀しい職掌だと思います。
繰り返しになりますが。
土方に対して、嫉妬以上の悪感情は山南は持ってはいなかったのだと個人的には思います。
同じフィクションだとしても。
「おお、やって来たか九尾の狐……」と最後に語る山南よりは。
「悔やむことはない。君は正しかった」「私が腹を切ることで、新撰組の結束は、より固まる。それが総長である私の、最後の仕事です」と最後に語る山南のほうが、本当の彼らしかったのではないか、と思えてならないのです。
ここからは余談。
『新選組!』第33話「友の死」のラストシーンで。
土方がこらえきれずに近藤と肩を抱きながら大泣きするシーンがあるのですが。
最初のプロットでは。
「真夜中の部屋で、1人大泣きする土方」というものだったらしいです。
どういう経緯で変更になったのか。
あるいは本当に最初のプロットがそうだったのかも定かではありませんが。
個人的には。
そちらのほうが、より実際の土方に近かったのかなあ…と思えてなりません。
涙を見せる姿を他人に見られるなんて耐え難い人だったのではないかと思えてならないので。
★★次回で「山南編」最終回の予定。人気blogランキング★★