こんなニュースも…

「松食い虫:後鳥羽上皇ゆかりの松林が全滅 島根・隠岐諸島」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060417k0000m040094000c.html)。

島根・隠岐諸島の島前(どうぜん)(海士町など3町村)で、承久の乱(1221年)に敗れて流された後鳥羽上皇が歌にも詠んだ松林が、松食い虫被害でほぼ全滅している。自治体の財政難などで広範囲に農薬の空中散布が出来ず、有効な手が打てなかったためだが、上皇の行在所そばにある塚を代々管理する村上助九郎さん(66)は「本来なら松があるべき場所なのに」と無念の表情。県内各地でも被害が深刻化しており、県は松食い虫に強い品種の研究を進めている。

暁の夢をはかなみまどろめばいやはかななる松風ぞ吹く――。後鳥羽上皇(1180〜1239)は島前と呼ばれる隠岐諸島南西部の3島の一つ、隠岐国・中ノ島の仮宮に幽閉され、島の松を和歌に詠んだ(18年後に死去)。上皇の心を癒やした松林だが、島根県では84年に約11万立方メートルの松林が枯れたのを最高に、今も毎年約3万立方メートルの被害が続いている。

島前では94年のピーク時に約3万5000立方メートルの被害が出るなどし、01年には壊滅状態に。中ノ島の海士町では七松と呼ばれる高さ約30メートル、樹齢300年の巨木が約20年前に松食い虫で枯死。後鳥羽上皇御火葬塚の入り口にあった松の巨木「綱掛けの松」も10年以上前に枯れ、姿を消した。村上さんは「県などが薬剤を散布したこともあったが、効果がなかった」と話す。

島後(どうご)を含めた隠岐諸島大山隠岐国立公園に指定されており、島前の3町村が設立した森林復興公社が景観保全のため、枯れた松の後にスギやヒノキを植樹している。県森林整備課は「2年後には松食い虫に強い品種ができる見通し。何とか被害を食い止めたい」と、県全体での松林復活を目指している。

…あらら、ここでもマツクイムシの被害ですか。
マツクイムシ、正しくは「マツノザイセンチュウ」という、アフェレンコイデス科のセンチュウです*1松の内部で羽化したマツノマダラカミキリというカミキリムシの身体の一部に寄生し、それがカミキリムシによって別の松に運ばれ、樹木内部で増殖して松を枯死に至らせるのだそうです。
(参考文献:『世界大百科事典』(平凡社)、Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7))


…なぜ自分こんなにマツクイムシに詳しいのかというと。
かつて広報の仕事をしていた頃に。
マツクイムシの不思議な習性」というナゾの広報原稿を掲載したことがあるからなのです。


「…この記事、読者のなかでどれだけ関係あるヒトがいるんだろうか?」と自問自答しながら。


おそらく、担当部署も「農林水産省(or林野庁)→神奈川県→」といったルートで依頼されて、やむなく掲載依頼を出したのかもしれませんが。
それにしても。
市民生活とはダイレクトには係わり合いを持ちにくい記事であったことは否めないところです。


ともあれ。
配流の徒然を慰めた松の枯死に。
黄泉の後鳥羽上皇の心境はいかがなものなのでしょうか…。


余談ですが。
マツクイムシについては、こちらのサイト(http://www.jomon.ne.jp/~igamasa/gaicyuu-01.html)が詳しいので。
興味がある方はご一読のほどを。


★★松を詠んだ歌といえば「立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む」。人気blogランキング★★

*1:学名は「Barsaphelenchus xylophilus」。