もいっちょ本日ネタ

今度は日本史ネタです。


表題にもあるとおり。
承和7年(840年)の今日5月8日、淳和上皇崩御しています。


その死に際して。
上皇は、実の息子である恒貞親王*1に対して、次のとおり遺勅を残しています。

予素より華飾を尚ばず。況や人物を擾耗するをや。斂葬の具は、一切薄に従ひ、葬畢らば、縗*2を釈(す)て、国人を煩はすことなかれ。
(中略)
予聞く。人没すれば精魂天に帰すと。而るに空しく塚墓を存せば、鬼物これに憑けり。終に乃ち崇を為して、永く後累を胎(のこ)さん。宜しく骨を砕き、粉となしてこれを山中に散くべし。

上皇崩御後。
遺勅に従い。
荼毘に付された後、上皇の遺骨は砕かれ。
小塩山(現.京都市西京区大原野南春日町)の山頂にまかれたといわれています。


今現在、淳和天皇陵に治定されている大原野西嶺上陵は。
この小塩山の山頂が当てられているといいます。


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*1:仁明天皇の皇太子になったものの、後に承和9年(842年)にいわゆる「承和の変」が起こると「陰謀に加担していた」とされて廃太子となっています。

*2:【糸+衰】、「喪服」の意。