もろ差し名人、逝く

もろ差し名人元関脇鶴ケ嶺が死去」(http://www.nikkansports.com/sports/sumo/f-sp-tp3-20060530-38950.html)。

もろ差し名人元関脇鶴ケ嶺が死去

大相撲でもろ差しの名人といわれた元関脇鶴ケ嶺で前井筒親方の福薗昭男(ふくぞの・あきお)氏が29日午後6時6分、敗血症のため大分県別府市の病院で死去した。77歳。鹿児島県出身。近親者で密葬を行い、後日東京でしのぶ会を行う予定。

1947年に初土俵を踏み、53年春場所新入幕。最高位は関脇で、67年名古屋場所で引退するまで幕内を77場所務めた。巻き替えがうまく、もろ差しから肩を揺さぶりながら出る、独特の寄りで人気を集め、技能賞を10回受賞した。

引退後、君ケ浜部屋を創設して独立。後に井筒となり大関霧島(現陸奥親方)らを育て、鶴嶺山逆鉾(現井筒親方)、寺尾(現錣山親方)の3人の息子も関取にした。94年に日本相撲協会を定年退職し、二男の現井筒親方が部屋を継承した。

霧島や井筒3兄弟は言うに及ばず、小結まで務めた陣岳、上がった額で隠れた人気だった薩州灘、当時の新入幕スロー記録保持者貴ノ嶺*1…と、名前を挙げただけでもキリがないぐらいの、綺羅星の如く土俵を彩った名力士たちを育て上げた指導者でもあります。


弊ブログでは、他のサイトやブログではおそらく語られることがないであろうエピソードを1つ紹介して、故人を偲びたいと思います。
確か昭和60年代のことだったと思います。実家にとってある相撲雑誌を引っ張り出せば年代は特定できるんですが、こちらでは確認できないので、まあ概ねそれぐらいの時期の話ってことで。故人がまだ井筒親方として弟子たちの指導に当たっていられ、逆鉾や寺尾もバリバリの現役力士だった頃の話です。
親方が可愛がっていたゴンというイヌが、散歩中にちょっとしたはずみで綱を離して飛び出してしまい、車にはねられて亡くなってしまうという悲しい出来事がありました。
親方、それはそれはひどく悲しんで落ち込んだそうです。なにしろ自分の子供同然に可愛がっていたイヌだったようで、「自分がちゃんと綱を持っていれば…」と自責の念に駆られることしきりだったとか。
いつも一緒にいた愛犬を亡くした寂しさからでしょうか、普段は訪れることなかったのに、逆鉾の部屋をフラッと訪ねて話しかけてきたりしたこともあった、と当時逆鉾が語っていました。
丹波哲郎によれば「死後の世界ではペットとは再会できない」とのことですが、あの世で親方がゴンと再会できればいいなあ…と思わずにはいられないのです。謹んで、名人力士であり、名伯楽であった親方のご冥福を祈りたいと思います。


★★このエントリを執筆していて、なぜか『銀河鉄道999』の「ミーくんの命の館」の回を思い出してしまいました。人気blogランキング★★

*1:平成元年三月場所、初土俵から87場所目というスロー昇進を達成した。しかし、その場所は4勝11敗で負け越して、翌場所十両に陥落。結局幕内在位はその1場所だけだった。なお、同年七月場所で、星岩涛祐二が初土俵から115場所で新入幕、スロー記録を大幅に更新した。貴ノ嶺の記録は現在は歴代第4位のスロー新入幕となっている。