教科書でしか見たことのなかった遺跡

伊東から帰ってきました。
例によって、ムダにツルツル肌になりながら。


帰途。
足を伸ばして。
↓ココに寄りました。


昭和18年5月。
軍需工場を建設しようとして、偶然発見された。
静岡市にある弥生時代の遺跡、登呂遺跡です。
(ちなみに、遺跡が発見された全く同時期の新聞記事の1面は「アッツ島日本守備軍全員玉砕」。「撃ちてし止まむ」なんてキャッチコピーが全国的に喧伝されていた頃でした*1


「登呂博物館」なるものが近隣にあったので。
立ち寄ってみました。


学芸員の方がいろいろと話をしてくださいました。
中国の歴史書で「倭国大乱」と言われた2世紀後半ではあったものの、戦乱に明け暮れていたのは九州から畿内周辺までで、登呂周辺はまだまだのどかであったと予測されるとのこと*2
木製の琴なんて出土品の復元模型もありました。新聞報道では「完全な形で出土」とされていたものの、どうにも音が出なさそうなたたずまい。私が思うに、撥弦楽器としてではなく、呪術に使用されていたのではないかと思います*3
実際に杵と臼で米を搗いたり、石庖丁で穂首刈りをしたり、当時食べられていたという赤米の握り飯を食べさせてもらったり…と、なかなかに体験学習もできる優れものの施設でしたが…来年3月で休館予定らしいです。施設が老朽化したので建て直し、平成22年度リニューアルオープン予定なのだとか。
それに合わせ、公園内に再現されている竪穴式住居や高床式倉庫も一旦全て取り壊し、再度作り直す予定だそうです。最新の学説に従った形でマイナーチェンジさせつつ。
弊ブログを訪問してくださる方に多い、このテのネタに興味をお持ちのみなさん、今が最後のチャンスです。ぜひ登呂までお急ぎください。親切なスタッフのみなさん(なんと貫頭衣着用!)が濃厚な説明をしてくださること請け合いです。


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*1:古事記』に収録されている神武天皇の和歌や『日本書紀』の神武天皇記のなかに出てくる久米歌の結句にも使われている「撃たずにおくものか」という意味の言葉で、昭和18年3月10日の第38回陸軍記念日の際に決戦標語として発表され、ポスター5万枚が各方面に配布されたことや、日劇正面に100畳敷の巨大ポスターが掲示されたことで知られています。ちなみに、ドラえもんマニア的には「米英撃滅」「尽忠報国」とワンセットで語られ「しかるにおまえのこの頭は!」と続くことで知られています(笑)。

*2:武器などが出土していないのがその大きな理由のようです。

*3:根拠として、『古事記』の仲哀天皇記に「天皇が神の怒りを沈めるために琴を弾くとき、しぶしぶいい加減に弾いたところ、神の怒りは静まらず、天皇はその場で崩御した」という記述があるのを挙げたいと思います。