今日1番目を引いたニュース

…は、やっぱり↓コレでした。


邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる」(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060822i306.htm

古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半〜中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
2000年に発掘されたホケノ山古墳は、〈1〉墳丘が前方後円形〈2〉木槨(もっかく)内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設〈3〉画文帯(がもんたい)神獣鏡など中国鏡の副葬――という三つの特徴があった。
一方、今年3月、徳島県教委などが調査した同県鳴門市の萩原2号墓は埋葬施設は未確認だが、全長25メートルの前方後円形で、3世紀前半の築造。その南50メートルにある同時期の萩原1号墓からは1979、80年の発掘で画文帯神獣鏡が出土している。埋葬施設は二重構造とみられている。
さらに、兵庫県たつの市の綾部山39号墓では03年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土。墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。
こうした特徴が一致するのは、京都府南丹市の黒田古墳、岡山県総社市の宮山古墳、兵庫県加古川市の西条52号墳など、近畿や瀬戸内東部で十数基に達する。
山尾幸久・立命館大名誉教授(古代史)は「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と考える。
しかし、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「ホケノ山古墳などの年代観が正しいとしても、日本列島全体が統一されていない段階。大和に大国があってもよいが、それは邪馬台国ではない」と反論している。


邪馬台国=3世紀後半の中国の史書「魏志倭人伝」に記された倭(日本)の諸国のうち最大の国で、諸国に擁立された女王・卑弥呼が都とした。所在地を巡っては、江戸時代以来、九州北部にあったという九州説と畿内大和説とが激しく対立している。

…すみません。
私おばかなのでしょうか?


「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠」までは分かるんですよ。
ふむふむと。


でも。
そこから一足飛びに「その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と行ってしまう論旨が。
どう頭をひねっても理解できないんですよ。いやホントに皮肉じゃなくて真面目な話で。


というわけで。
「日本史マニア」の名にかけて。
自分でも調べてみました。


Wikipediaで(←ヨワい(笑))。
以下、こちら(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD)より引用。

畿内


畿内説の中では、奈良県桜井市三輪山近くの纏向遺跡(まきむく遺跡)を邪馬台国の都に比定する説が、

  1. 遺跡の最盛期が弥生時代終末期〜古墳時代であり、邪馬台国の時代と合致すること
  2. 北九州から南関東にいたる全国各地の土器が出土すること
  3. 広大な面積をもつ当時としては大規模な集落跡であること
  4. 卑弥呼の墓の候補である箸墓古墳があること

等の理由により有力になっている。
また、三角縁神獣鏡に代表される大陸渡来の遺物がこの時期畿内を中心とする分布となっていることも、畿内説の根拠となっている。ただし、この説には異論もある。
逆に、畿内説の弱点として上げられるのは次の点である。

  1. 邪馬台国時代の畿内からは鉄製品がほとんど出土しないこと(『魏志倭人伝の記述からは邪馬台国では多くの鉄が使用されていた事が伺える。)
  2. 魏志倭人伝に記述された民俗・風俗が当時の近畿地方のそれとは合致しないこと(『魏志倭人伝が記述しているのは、必ずしも邪馬台国の都の民俗・風俗ではないという反論もある。)
  3. 最近は箸墓古墳卑弥呼の墓ではないとの説が有力となっていること
  4. 三角縁神獣鏡は国産で製造された時期ももっと遅いこと
  5. 魏志倭人伝の記述内容の行程では到底、畿内説まではたどり着けそうにないことが九州説の研究で明らかになったこと

…なるほど。上記の記事でコメントされている山尾名誉教授の論拠は、Wikipediaに掲載されている「2.北九州から南関東にいたる全国各地の土器が出土すること」や「三角縁神獣鏡に代表される大陸渡来の遺物がこの時期畿内を中心とする分布となっていること」とほぼイコールってことなんでしょうかね。


Wikipediaには、さらに「九州説」についても詳しく説明が掲載されています。
詳細な説明ですが、長くなるので割愛します。興味ある方はお読みになられることをお勧めします。


しかし。
なんといっても、私のツボにググッとハマったのは。
「九州説」の下にあった、次の記述です。

それ以外の説


参考までに、畿内と北九州以外には、琵琶湖湖畔、吉備、出雲、南九州、四国、千葉県、山梨県など日本各地に邪馬台国とされる地域が散らばっている。珍説の部類としては、日本四島を飛び出して琉球説、ジャワ説などもあり、果ては木村鷹太郎のエジプト説、ムー大陸説、さらに「邪馬台国はなかった」という説までも提唱されている。*1

…「ジャワ説」「エジプト説」ときて、しまいには「ムー大陸」まで行ってしまいますか(笑)。「どこへもどこまでも」といった印象です。それにしても「『邪馬台国はなかった』という説」というのはあまりにミもフタもないような印象受けてしまいます(大真面目な説なんでしょうけど)。


★★ホケノ山古墳を詳しく知らなかった自分に「喝」。古墳マニアとして恥ずかしい限り。人気blogランキング★★

*1:ちなみに、Wikipediaではこの後「しかし、中国正史において倭人はその後日本に引き継がれた記述になっている、倭人琉球人は区別されている、動物(キジが黒雉と記載され、これはコウライキジでなく日本の雉であると推測される、猿がいる)その他の記述を総合判断すると、比定地の国は日本と考えるのが妥当とされるが、国内でも議論が続き定説はない」と続いています。