乱世の梟雄

妻は並み居る戦国武将のなかで1番好きな武将は松永久秀らしいのです。なんでやねん。


…まあ、確かにスケールでっかいヒトですけどね。主君を殺して、将軍を殺して、東大寺の大仏殿まで焼いちゃうなんてマネ、そうそうできないですよ。信長に勝るとも劣らないと言っていいんじゃないでしょうか。
その最期もいいですよね。愛用の名器「平蜘蛛茶釜」を抱いて自ら爆死…。らしい、実に「らしい」最期です。こういう「個」の強い人…個人的にはけっこう好きですねえ。


ところで。
人口に膾炙している、松永久秀の「爆死」ですが。
異説もあります。


中風を病んでいた久秀は。
切腹に際して、発作を起こして見苦しいことにならないよう。
頭のてっぺんにある百会というツボに灸を据えさせながら、静かに腹を切ったという説です。


カッ飛んだことする一方で、文化人としての素養もあったといわれている彼。
どちらの死に様も、一見対極的なようでいて、それぞれ彼の本当の姿を忠実に伝えるものである…と言えるのかもしれません。


彼が居城・信貴山城で最期を遂げた天正5年(1577年)10月10日は。
奇しくも、彼が東大寺大仏殿を焼き払ってから、ちょうど10年目に当たる日でした*1
人々はこれを「大仏を焼いた仏罰である」とささやいたといいます*2


★★『SENGOKU』の「いい天気だなあ。…謀叛でもするか」という久秀はかなり好き。人気blogランキング★★

*1:彼が東大寺大仏殿を焼き払ったのは、永禄10年(1567年)10月10日のこと。

*2:余談ですが、「太陽暦に換算」して比較してみると…「大仏殿焼き討ち:西暦1567年11月10日」「信貴山城で最期:西暦1577年11月19日」と9日もタイムラグが出てしまいます。これで仏罰もあったもんじゃない…というのは「現代人の無粋」というものなんでしょうね(笑)。