年齢関係なしだったようです。

表題にもあるように。
文明13年(1481年)の今日11月21日、一休宗純がこの世を去っています。


88歳という、当時としては長寿を全うしての大往生だったのですが。


臨終の言葉は「死にとうない」であったと言われています。


80歳を過ぎてなお、盲目の「森侍者(しんじしゃ)」という側女を侍らせていたという彼らしい、なんとエネルギッシュな臨終の言葉でしょう。


ところで。
Wikipediaより(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BC%91%E5%AE%97%E7%B4%94)。

天皇をはじめ、民衆からも慕われ、88歳で酬恩庵(通称「一休寺」。康正2年1456年、荒廃していた妙勝寺を再興したもの)で没した。 (中略) 酬恩庵に「慈揚塔」と呼ばれる墓があるが、宮内庁が御廟所として管理している―国の所有する施設であるため一般の参拝は不可能である。


言うまでもなく。
宮内庁が御廟所として管理している」のは。
一休が後小松天皇の御落胤であるという説によるものと思われます。


が。
これもWikipediaから、自分も初めて聞いた話である説を。

京都の生まれで後小松天皇落胤とされるが、最近の研究により足利義満の子ではないかとも言われる。


へえ。
そういう目線でアニメの『一休さん』を見ると、なんか複雑ですよね。


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